作成人プロフィール
- 一応、樹田郎、と名乗っておきます。
- 1951年生まれ。しっかりと、おっさんです、対世間的には。
- 神戸育ちの、根は関西人と言いたいところだけど、
実際は、千葉、東京暮らしの方がはるかに長くなってしまい、今は東京の西のはずれ、立川。
- 趣味は、と言っても、本当はそんなもんあるのかな?って感じ。
音楽は主にJAZZが好きです、もちろん聞くのが。たまにだけど。
ほとんど思想関係の本ばかり偏って読んでいます。それを趣味とは言いたくない。
旅は、昔は好きでした。70年代人のご多分に漏れず、決して旅行ではありません。
- 高校の時、教科書に出ていた詩がきっかけで高村光太郎の詩に強烈に魅せられました。
当時、全共闘運動の真っ盛り。時代の空気としての政治社会的実践倫理の要請に、
大きく影響されていた光太郎周辺の白樺派的ヒューマニズムによって繋がりもし、又齟齬もきたしました。
その後長く、政治と文学やら、芸術と実生活やら、ひいてはヒューマニズムそのもの、について考えさせられることになりました。
- 社会の変容と90年代のポストモダニズムを経て、あらゆるものが記号的差異として消費されてゆき、
思想も芸術も人生の意義すらも例外ではないという底無しの相対主義に圧倒され、嘘のように思潮の流行が去った後でも、
後遺症のように、その口先だけのニヒリズムに不純なものを感じながらも、基本的には相対的な認識を受け入れているように思います。
ただ、オールドな出自としては、価値発生の社会的な仕組みとは別に、思想にしろ芸術、人生の意義にしろ、それらが生成してくる場では、
差異化ゲームというような事後分析的手付きでは到底汲み取れない、意図的な選択などとは無縁の、そうあらざるを得ない、
それぞれに固有の実存的な必然'閾'というようなものがあるはず、と信じたく、そこを抜きにして価値を考えても不毛だと思っています。
- 望んだわけではないのに、この年になるまでとうとう独り暮らしになってしまった。
自分は、本当には'生活'を知らないのではないか?と、悔やまれてきます。
ただ、そうは言っても仕方がない。
あまり期待できそうもない残された日々をどう過ごしてゆくか?問題です。
新たな付け加え
- 2018年、親の遺した千葉市のぼろ家に、不本意ながら引っ越して来ました。
自分でリフォームする為、仕事を辞め苦節8年、やっと一息つけています。
- ほったらかしの旧くなったホームページが気になり、今回の改訂となりました。