七月度前半分



一日火曜日 一言 「したことのないことをしよう」
恋をするなら自転車に乗って、と大槻ケンヂは歌った訳で、その歌は生理的に百パーセント共感できることなのだけれど、それってなぜか。
というとそれは、「雨の日には乗る気にならない」という不便さに由来するものじゃないかとか思うわけです。
天気なんていうまったく気まぐれな代物によって存在自体が左右されるというのは、不安定な感じでまさにズバリそれこそが恋だわ、の感があるわけであります。

ならば、自転車以外に、そういうものがありはしないかと考えて思い至ったのが、
「恋をするなら迎え酒」
とりあえず、二日酔いのレベルがどの程度なのかにものすごい左右されるところが同類項だと思ったけれど、どこをどう切り取ってもロマンチックではないので封印。

「ああ、こまったこまったあ」

「おっ、どうかした?」

「あっ、聞いてください」

「拒 否 す る」

「あっ…あー」

シリーズ。時期を逃したけれどようやくうでおぼ3最終回のこと。

公儀隠密の密書の内容を解き明かしてみると、それはどうやら酒井主税の汚職をばっちり暴くものだったモヨン。
でもってそれを手に、国へ戻ることを決めた青江様。というのが前回のあらすじ。というか、佐知さまと色々ひっついたりはなれたりと悶着があったのですが、まあそれはそれとして。

ともかくも最終回は悪の黒幕、筆頭家老酒井主税に、ちょっとした罠をしかけての逆落としみたいな感じです。国に戻った青江様は、しばらく渡辺裕之のもとに身を隠し、酒井家老の悪い噂などを流しながらじっと時を待つ訳ですね。
で、噂はやがて藩主の耳にも届くわけで、藩主に酒井主税こと峰岸徹が尋ねられることに。
「酒井、その悪い噂は本当なのか?」
「いえ、滅相もない」
「そうか」
追及終わり。残念。藩主はまだ若い小僧なので浅はかこの上ないのですね。

ですが勿論それだけでは終わらないわけで、隣の家老が「しかし、これだけ噂になるということはやはりなんらかの根拠があるのではないかと申す者もおりますし…」とかごにょごにょと。
その、一見うっかりともとれる発言に、峰岸徹シンパの家老たちは一斉に気色ばんで、
「失礼であろう!酒井様を疑っておるのか!」
「いえいえ、私が申しているわけでは御座いませんで」
「じゃあ誰が申しておるのだ!」
「だから、そう申す者がおるというだけの話でございまして」
「だったらその者をつれて参れ!」
「いえ、少々事情のありますものゆえ…」
「それ見ろ、言えないではないか!うそつきめ!」
「つれて参れ、とおっしゃるのであれば、つれてまいりますが」

なんつって藩主にお伺い。藩主がうなずいたらば、奥のふすまがすぱあん、と開いて、そこにいるのは白装束の青江又八郎ですよ。
「あ、青江!む、謀反人の青江ではないか!」
「だから、事情のある者だと申したではありませぬか」
「ぐぬう」
萌えた。久々にいい間合いの釣りを見ました。コレ。
でもって峰岸徹は青江様の追及に逃げられぬと観念してその後、切腹。(公式には病死と発表)
そういうことになって、青江様の藩への復帰も認められます。

となると残るのは影足組頭領、近藤正臣扮する石ノ森佐門です。
酒井主税は何も言わずに切腹した訳ですが、実際影足組を使って工作をしていたのはこの石ノ森佐門。ほうっておくわけには行きません。しかし、こやつも切れ者との評判どおり、峰岸徹が死んだと聞くや否や行方をくらます次第。
黒幕を仕留めてから残党狩りに移行、というのは実際の手順としては自然でもドラマとして珍しいと思いますがともかく。

江戸へ取って返す青江様と佐知殿の前に、とうとう石ノ森佐門が姿を現すわけです。
谷口権七郎の死因はまことに病死かと問う佐知殿に、穴の底から響くように「…毒殺」と答える石ノ森佐門。その声や凄絶。でもっての長い決闘。
「おれは、影足組を光のあたる場所に出したかった!胸を張りたかったのだ!」
そして、じりじりと間合いを詰めつつそれを語る石ノ森佐門の鬼気迫る表情ったらないです。笑ってるわけはないのに、笑っているような表情。まさに鬼気迫る。化け物のよう。手に汗。飲む息。

この決闘は見ごたえがありました。まったく。かっこよかった。痺れた。
ありえるかありえないかと問われたらもう絶対ありえない戦いだしありえない結末(具体的に言うと、刀を跳ね飛ばし、垣根に追い詰めて転倒させた青江様にとどめを食らわそうとしたところに雷が落ちて石ノ森佐門憤死)だったんですが、痺れました。かっこよかった。

そして、戦いは終わり、各人のその後について。

細谷源太夫:いつぞや初村賛之丞が仇討ちに倒れた回で知り合った人に仕官の口を持ちかけられ、承諾。甲斐の方面へ。娘の祝言の場での「娘を御頼み申す!」にはヲベロンもらい泣き。
細谷文:細谷様について甲斐の方面へ。「生きてさえいればまた会えますとも」となんとも心強い別れの挨拶を。かっこいいなあ。この人ほんとかっこいい。
細谷美沙(美人の娘):中居くんと祝言。あいかわらず泣き顔や困り顔が美人。相手が中居くんというところに一抹の不安もありますがきっと幸福になることでしょう。
相模屋吉蔵:店をたたんで娘夫婦のところへ。これからは孫と遊んで暮らすとのこと。でも孫になつかれそうな感じじゃないよね、この人。
佐知:影足組は将軍交代による社会情勢の変化から解散へ。生きる意味を見失って放浪。(す、すくわれねえ!)

そして、ラストシーンは江戸から国元に戻る青江様を、まるで待っていたかのように茶屋でお茶を飲んでいた佐知殿と、彼女に気付いて足を止める青江様との会話でした。

「しばらく、気ままに暮らしてみとうございます」
「…そうか」
「もしいつかわたしが国元に戻ることになって、そしてその頃まだ、二人とも一人身でしたら…」
「…」
「また、こうしてお茶など、飲みましょう」
「うむ」

ああ、最後は滋味のある会話だったあ。

しかし、振り返ってみると、うでおぼは2が一番良かった気がします。
3もいいんだけど、3はちょっと救いがなさすぎる気が。

とか、いって、た、ら。
子連れ狼、第二部キター!来週からダヨッ☆
A女史なんかは涎を垂らすに違いない大五郎写真館がサイト内にあったりしました。
この公式サイトは必見です。
ところで、拝一刀の刀、どうたぬき、って「胴太貫」って書くんですね「堂狸」だと思ってました。

ところで。
ドッカン
  ━━━━━) )=         ☆ゴガギーン
      ∧_∧ | |         /          / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     (   )| |_____    ∧_∧   < 今日から七月ですわよーっ!
     「 ⌒ ̄ |    |    ||   (`∀´ )    \___________
     |    /      |    |/   /     \
     |    | |     |    ||    | |   /\\
     |    | |     |    |  へ//|  |  | |
     |    | |   ロ|ロ   |/,へ \|  |   | |
     | ∧ | |    |    |/  \  / ( )
      | | | | >    |    |     | |
     / / / / |     |    〈|     | |
     / / / / |     |    ||     | |
    / / / / └──┴──┘     | |

地味に催促。

あ、あと、「クニミツの政」がどれだけヤバいドラマかというのをチェックする為に初回、見てみましたが予想外だ。
ひどすぎる。
というか特に主人公がほんとうにどうしようもない。見どころがひとつもない。やばい。死ぬ。
二日水曜日 一言 「カルマ」
ワンデーアキュビューのCMの女子高生は、断然メガネの方が美人だと思う人挙手。

というのは置いといて、旅に出ます。
色々見てたら、なんかいてもたってもいられなくなったのです。

でも週末にはお約束が入っているので帰宅予定。
いつか、完全に帰還を前提として、期間無制限で不意に行方不明になりたいが無理くさい(主に自分の性格や新環境への適応能力や生活能力などのため)、というのが目下の悩みです。
ああ。まったく。

やんぬるかな。
三日木曜日 一言 「あー」
あー、ええと。
そういうわけで慌てて部屋から逃げ出したわたくしですが、なぜかというと、その。
非常に腰抜けライクというか心の弱さを如実にあらわすものなのですが、圧倒的なものに触れたのが原因でありました。
僕は、ひとの「圧倒的な努力」というものに触れて、もうどうしようもない気分になってしまったのです。
大体日頃から、いつだって、あなたってすごい、と思うことが多い僕ですので「人の長所」に対して免疫が出来てると思いきや、そうではなかったのですよ。
それは「あなたってすごい」と思うだけでは止まらず、「ひるがえって僕はダメです」と言わずには居られないような、圧倒的な努力だったんです。
そういう経験は少ないので、面食らいました。

そんでもって、ええと。
面食らった末に困って逃げ出した僕ですが、逃げ出した先で一心不乱に草ぬきなどを手伝い、胡瓜だの茄子だのを収穫し、ぐったりしながらビールなど飲んで、その事実を受け入れることにしました。
僕はその人に比べて、努力が圧倒的に足りない。それは受け入れなけれあならないのです。
自分がまだまだ未熟である、ということを受け入れるのに一昼夜かかるというダメな僕です。
かなしいかなこれ。
でも、受け入れて思い当たったものがひとつありました。
「才能」というものについてです。

完全な日本語としての意味ではなく、人が「才能」と口にするときのことについてです。
「圧倒的な努力」というものは、圧倒的に埋められない差なのです。質や分野や方向性を飛び越えて、圧倒的な努力は圧倒的な努力であり、それは質量さえ備えているような壁となって、努力したものと努力していないものを隔てるのだと思うのです。
で。
その「埋まらない差」を努力せずに、一息とびに楽をして埋めようとして「才能」という架空の、証明不可能のものを持ち出すんだと思います。
「わたしとその人の間には努力の量というもので差があるけれど才能でそんなものいつだって埋めてみせますよ」
人より劣っているということを受け入れられないと、きっとそうなってしまうのです。かなしいかなこれ。あたくしそういうの、好きじゃありませんのことです。
これはべつに「才能」というものの存在を否定するわけではなく、それの証明不可能性につけこむのが滑稽だという話なのであります。

これからはいつだって、圧倒的な差というものを受け入れて、素直に「あそこまでゆきたい」と思えるような人でありたいなあ。
どりょくあるのみです。たいへんだけど。ええ。

で、真面目な話をしてしまうのが苦手の僕が繰り出す恒例のカウンターですが。

これ
リアルでは以前話した覚えもあるのですがコンプリートにバカです。
というよりもこのコピーに関わった人の親は普通に泣いていると思う。

というか、中学の時の同級生が「クリティカル率」のことを「クリット率」って言ってたのとかを普通に思い出した。
たぶん「clt率」からきてるんだと思うんだけど。
四日金曜日 一言 「おそば」
昨日の雨のせいで、ちょっと蒸します。

午後は祖父と一緒に本厚木に出かけて、蕎麦など食べました。ひさびさに食べるととてもおいしい。お蕎麦はおいしい。心の中で呪文のように繰り返します。お蕎麦はおいしい。おいしい。お蕎麦はおいしい。

ああ、まったくもって幸福な言葉だコレ。ああ。

自分がダメだということを受け入れると、不思議です。
気持ちは楽になるし、書きたいことも湧いて来るようになりました。

そうかあ。
別に長いものを書かなくちゃならないってことはないんだなあ。

実績ってのは、積み重ねてゆくものではないのだ。
並べておいてゆくべきものなのだ。
自分が今までしてきたことを、ちょくちょく思い返して、大きいものがいくつで小さいものがいくつで、と統計をとってしまったり、見目うるわしいように並べ替えたりしてしまうと、次にすべきことを選択する自由が、オノレによって狭められてしまうのだ。
きっとそうなのだ。

そんなことを考えながら本を読んだり、畳に寝そべったりしてました。

そして今日のカウンターは、「傲慢」の対義語はなんだろう、という疑問です。
ともかくそれが「卑屈」なのか「謙虚」なのかでひと悶着(脳内で)。

傲慢と「ベクトルが真逆の短所」を想像するか、傲慢と「両立し得ない長所」を想像するかで人を分類できる気がするようなしないような。
ちなみに僕は短所を想像しました。それがどういうことかはしらないけど。
五日土曜日 一言 「ゾンネ」
午後に帰宅して、部屋の片づけをして、亀の水槽なんかも掃除して、水槽の位置変えて、お呼ばれして町田のドイツ料理屋さんへ。
週もなかばの大脱走は、やはり尾を引いていて、いつのまにか僕の出処進退についての相談をしている辺りがなんだか申し訳ありませんでした。しかも長時間主催や主賓を独占。
うわわわ。
マジ申し訳ないです。

しかしアドバイスされたことはやっぱり考えさせられることばかりだったと思いました。
やっぱり、僕には圧倒的に場数が足りない。足りないんだなあ。
あと、人の「幸福観」というものを見くびっているフシがあることも気付かされました。
ううむ。
長いこと、幸福観のマイノリティーだった現在までの鬱屈がどうも悪い方向に作用している様子。

人に、「こういうのも幸福だよね」と言って、あんまり理解されなかったティーンズ(うおお、死語)の頃などを思い返し、それを乗り越えてゆかねばならんなあと思いました。
多分理解されない類の幸福を理解してくれる人を求めつづけて、会う人会う人を選別して暮らすよりは、誰にも理解されなくても、一人でも実現可能な幸福を求めるほうが人生に対してずっと誠実だ、と思って暮らしているあたりがたぶん癌です。

たぶん、人を試すのではなく、色々なことを通して自分の立ち位置や相手のスタンスを確かめてゆくしかないんだなあとか。

でも、やっぱりそう。経験論に基づく話っていうのは、いつだって聞くべき話だと思いました。

僕は、割と人の言葉の粗をつっついたり論拠の矛盾をつっついたりしたがるよくない性質の子なのですが、付き合う中には不思議とそういう衝動を起こさせないタイプの人たちがいて、それは何なのかと考えるに、その人たちの話が経験論から来るものだからなのかもしれない、と思いました。
いつだって、人が過ごしてきた時間は素敵で、貴重で、かけがえのないものなのです。

人の生きてきたさまに触れるのはいつだって感動的だ、と思いました。

そして最後のカウンターはこちら。
子連れ狼の大五郎こと小林翼くんのお母さんがやってる小林翼公式サイト
かわいすぎる。取って食らいたい。
というか、身長がまだ1メートルないってのはなんていうか凄いなあ。

凄いね。
六日日曜日 一言 「サイトプチ改装」
こんばんは。
ヲベロンです。

ええと。ここ数日のことはまあ置いておくことにして、明日は七夕。願い事を考えました。

「幸福になりたい」

…うわあ。
というか、マジレスしていいのかどうか不明で、ツッコめないところが秀逸だと思いました。
次点で「毎日ちゃんと三食食べたい」というのもどうか。

ちょっとづつ精神生活を充実させてゆく覚悟。

そういうわけで気分を変える意味も狙ってサイトをプチ改装してみました。
一番変えたところは、わかりにくいですが「はじめてのzaldusuter」という、サイトマップ等初めて来た人向けのページです。
やー、実際作業的な更新って時間取られますねえ。いやいやマジで。

ところで、外国人が「息子だからジュニア」とか「おじいちゃんが一世だから三世」とかそういう理由でその手の名前を付けるのはシラフでやってるのかしら、とか、グレないのかしら、とか、前々から疑っていた僕ですが、それって「一番目に生まれたから一郎」とか「次男だから次郎」とかと似た感覚なのかもしれないとか思いました。
こういうのって文化かも。
七日月曜日 一言 「じつは」
ちょっと「理解しがたいもの」について長々と書いていたのですが、面倒なのでやめやめ。

理解しがたいものはどうやったって理解しにくいわけで、いっぺんバラバラにして組み直せば理解しやすいものに変わるかもしれないけれど、そうしてしまったら多分、もとにあったものとは違ったものになってしまうのです。
特にそれが言葉であった場合、もう断然。

なので放置。というか「心のミステリー箱」にダンク。オン。

いっぱい消すと、なんか勿体ない気がしちゃいます。

というわけで埋草のために暖めておいた話をこの機会に発掘だあ。
と思ってノート見返してみたら不思議な記述を発見。

・まちだくん

なんだ、なんだその「まちだくん」って一体ダレだ。
そんな知り合い、いないヨッ、というか、何気なく書いてあるぶん、余計に謎です。まちだくん。誰だ。謎だ。

たなばたの願い事について、どうしたらいいかなあ、あなたならなにを願いますか、と四国の人に電話で意見を伺ったところ「薔薇が欲しい」という返事をいただきました。

…。
あのな。

つーわけで多津丘家にて開催された七夕まつり、という名の飲み会にお呼ばれ。
土曜日にお酒飲んで日曜日ぐったりして、それで月曜日またお酒飲むってなんていうかつける薬がないなあ、と我ながら思っていると、参加者の中には日曜日にもパッスカお酒を飲んでいた人が幾人もいた模様。
猛者だ。
八日火曜日 一言 「なんてことだ」
うっ。

昨日、いきなり子連れ狼第一シーズンを見逃してます。
ほぼ脳死。
六時の時点ではメチャメチャ楽しみにしてたのに。くやちい。

こりゃきっと六時ニュースの「片付けられない人たち」を見てしまったせいです。なんかすごい煮物とか作ってた人を見て、体がかゆくなったせいなのです。
かゆくなって、体中を引っかいてたら「新しく覚えられることは三つまでと思え」という非常に重要なメモを消してしまったモヨン。
「19時になったらテレビ東京をつけろ」・「七夕まつりにでかけよう」・「七夕の代理願い事は<料理がうまくなりたい>だ」
という三つだけを覚えて暮らしていたのに、そこにきて「えっ、鍋洗わないの?っていうか、つぎたし?幾日目?って話を皆にしよう」が乱入。勢い余って「十九時になったらテレ朝を見なきゃならない」という記憶がすっ飛んだ模様。
おそるべしジェイル・ハウス・ロック。
おそるべしメメント。

ともかくそういう諸々で大変だったので、本日は真面目に諸々活動。昼寝などはしません。

上野桜カモメの「新!」、更新しました。
てゆーかタイトル長いなあ、これ。
でもそろそろ萌えロワ2が始まるらしいし、始まったら記念にタイトル替えようかしら。

あと、催促漫画。ちゃちゃっと書いてみました。
へっ。

へっ。
九日水曜日 一言 「だまる」
カワトンボが羽を畳んだり開いたりしている姿って、あくびをしているみたいで可愛らしいと思う。

昨日、黒く油光るあのアルティメットシィングことコックローチが風呂場に出現。パターン青!使徒です!
…というわけで昨日は修羅場でした。

その後、心落ち着けるために、素数を数えたりペンシルパズルを鬼気迫った勢いで解いたりしていました。ううっ。
度を越したハードな拒絶反応を持つことが少ない僕ですが、やつらだけは苦手で困ります。
で、どうしてやつらが苦手なのか、少し考えたのですが。

たとえば「人間に似ているが一回り小さい生物」というものがいたとします。子豚くらいの大きさ。
で、その生きものとはまったく意思疎通が不可能だとします。
何を話し掛けても「アギ。ウギ」としか言わないし、無論言語なども持っておりません。
ですが、食べるものは、人間と同じものを好むとします。天ぷらのカスや、残飯、その類のものを好んで食し、ごみ出しのマナーが悪い町内などは、ゴミ捨て場のそばのドブなどにこの生物が潜んでいることが多いようです。
ドブの中から、時々キーキー言う声が聞こえるんですね。

…。
と、ここまで想像して僕は、相当こころやすらかでなくなってしまうのだけれど、それって何故か。
たぶん、「人間と同じ食べものを好む」という部分だと思うんです。
なんだか、似ているが違う、というのは恐怖の原因の気がします。僕は食べることというのは文化だと思っていますから、食べることにおいて気の合う人とは仲良くしたいと思うのです。
だけど。
似ているけれど、やっぱり違うんです。言葉が通じない。思考が読めない。この溝は深い。深すぎます。
同じものを食べるのに「明らかに自分たちとは違う」という存在に対しては、どうやって接していいのか判らない。
敵視するほどには害をなされていないし、仲良くするには向こうに友好性が足りないわけで。
うー。

僕がもし神だったとしたら、自分に似せて生き物を作ったりなんかしない(飛躍しすぎ)。

「大丈夫!ヲベロンさんは神とかじゃないから!」

「そうだね!」

そして思い立ってリンク先に「チキ缶」さん、「complex pool」さんを追加。
どちらも素敵なサイトさんです。見に行くべしべし。

長崎の子供投げ殺しの続報で、12歳の子供が事情聴取されているそうです。
子供を子供が殺すというのは、それがほんとうならば、ほんとうにやりきれないと思います。

殺すとか殺されるとかそういうのは、子供の仕事じゃないよ。ああ。

>三(略)さん
追いかけます。もー、ぐわっしぐわっし追いかけます。問題は票の入っているのがダークホースばかりということですね。
十日木曜日 一言 「こころがけこそ」
今日は思い立って髪を切ってみたり。
しました。

つって美容師の人との会話。
「なんか、この一月は髪が伸びるのが遅かった気がするんですが、どういう理由なんでしょう」
「あー(ちょっと困って)、栄養が不足してたり新陳代謝が活発じゃないと、髪伸びるの止まるらしいですよ」
「(ぎくりとして)あ、あはは」

いわれてみると、確かにしばらく一日二食ないし一食の時期があったような気が(主に時間的都合の為)。

というか、栄養が足りないと髪に回される栄養が他に回されるという話を聞いて、公共料金でいうと「電話」みたいなものかも、と思ってそのように言ってみたところ、微妙な笑顔を返されました。
ダメなたとえだった模様。

最近、人と喋っていても、ごはんを食べていても、水を飲んでいてもビールを飲んでいても、ひどいときにはあくびの後などにも、舌を噛みます。
それも、しばらく目をつぶってうずくまってしまうくらいに激しくリアリティ・バイツ。

なにかうまい方法はないものかと思いたって調べてみるうちに面白げなページを発見。
ていうか、ここの一番下の、1.舌を上顎に吸い上げ「ポン」と音を鳴らす という音がどうやっても鳴りません。
どうやってやるの?
っていうか、どこが鳴ってんの?謎すぎ。

そしてさらにはこんな怪しげなテクノロジーのニュースまで発見。
余計謎すぎ。

つってるうちに早口言葉のページにたどり着いて試しているうちにまた舌噛みました。
アウチ。(きれいにおちがつきましたな)

そして一方、オチがつかないのが長崎の事件。続報。
12歳の少年が、自分がやったと告白したそうです。

うー。
とりあえず世のサブカル系ニヒルサイトとかでは、少年法の揚げ足取りや、「普通の子」の「普通」ってナンダヨ!とか、子供が子供を殺すのは別に特別じゃないとか、そういう世の中を斜に見たような話題で忙しいにちがいありませんが、そういうのはさておいて僕は単純にかなしいのです。

神戸の酒鬼薔薇事件のときは、かなしみというよりも憎しみだとか怒りだとかが湧いてきたのに、今日はなんだかかなしいばかりです。やりきれないばかり。
たぶんそれは、犯行声明がなかったからとか、犯人が14歳か12歳かとか、そういう理由ではなくて、僕が年をとったということだと思うのです。
四捨五入したらまだ18歳のつもりでいますが僕は、やはりもはや大人になってしまっているのですね。

子供が子供を殺すなんて、まったくもってやりきれない。
もちろん、今度の事件では、殺されることには勿論、殺すことにも必然性はありません。内戦続く地域の少年兵や、ただ殺されてゆくだけの子供たちとは比べること自体が馬鹿げていると思います。
けれどやっぱり、子供たちが殺したり殺されたりしたのだという事実は、おんなじようにつらいのです。
できることなら殺すのも、殺されるのも、そのどちらもいっしょくたに引き受けてやりたいとすら、思うのです。

…なんか感傷的なことばっかり思い浮かんでしまうので。
しばし思考停止。
世のすべての子供達のために僕は何が出来るかとか、そういう風な理想ごとを考えられるようになるまでですら、まだもう少し時間がかかりそうな感じ。
十一日金曜日 一言 「ワインボトル無料サービス券」
スーツ着てでかけます。
うふふ。
いっわっゆっるっ、就職活動だコノヤロ!

「おおーっ、ヲベロンさん、就職かあーっ?シチサンかあーっ?着るものも劇的変化かあーっ?」

や、べつに、あの、それほどのことじゃないんですけど。

臍の緒切って以来二度目の会社訪問ですが、前の会社よりこっちの会社の方がいいなあ。
ちょっとだけ勤労意欲増進。

というか、貰ったお土産がクールでした。うへへへ。

でもって面白い時間になってしまったので、明日の「オサッシシマス」の製本の打ち合わせなどをしようと思って鈴虫さんに電話してみたところ、軽く一杯引っかけながら打ち合わせめいたことをしましょう、という流れに。

合流して、歩いてお店を探しているうちに、なんとなく耳に止めたチラシくばりのおねえさんの呼び声。
「ワインボトル無料サービス券でーす」
…。
「ワインボトル無料サービス券…」
「ワインボトル無料サービス券…?」
「ワインボトル無料サービス券ッ!?」
歩きすぎてから、ことの重大さに気付く我々。見逃せません。そんなもの無料サービスしてよいものか。

というわけで戻ってがっつり券貰って、いい勢いでそのお店に飛び込んでみました。
イタリア料理のお店で、料理がちょっと高かったですが、その分ワイン無料ですから。とんとんというか。
ニコニコ会計でございました。んめかった。そしてさらには明日も飲酒です。うっひっひ。

家に帰ってからは「ディープ・ブルー」のおわりの辺をちろっと眺め、それからチャンネルいじくっているうちにどうやら野球延長で遅れていたらしいドラマ「STAND UP!」を見る流れに。

全然期待してなかったんですが。
あの!っつーか、端的にいって、凄い面白いぜコレ!
出てるのが若手ばっかで、しかも今までの出演作で間違いまくった方向に売り出されていた子たちなので敬遠してましたが、いや、いやいやいや。
これ面白い。
男子四人のトンチキっぷりとか、トンチキゆえの衝突とか、トンチキゆえの焦燥感とか、トンチキゆえのすれちがいとか。
ともかく、いい男はバカの役をしてこそ!というヲベロン哲学にど真ん中ストライクです。
コレ!
コレだよ!このバカ具合こそ一番だよ!

というかよく見てみると、出てる役者全部僕好みだということに気付いた。西田尚美も出てるし、ピュアソウルで尾形直人の弟役やってた子も出てるし、あまつさえ鈴木杏までもが!。
あと、嵐の中でもっともいけてるツラしたMEN、略して「あらイケメン」こと二宮君の童貞具合がリアルでいい。
来週から毎回見ようっと。

>ルーカスさん
あらら。っていうか、思い返してみると幸せの精がうまれたのは五月でしたね。勝手に七月だと思ってました。記憶力の弱い作者です。でも、なんか夏に強そう。あの精。
十二日土曜日 一言 「オサッシシテクダサイ!」
富士眞奈美と岸田今日子と吉行和子で送る「やっぱり猫が好き」が面白かったです。
毎週やらないかなあ。

というか、富士眞奈美がおお暴れしてて面白すぎ。

夕方からは、オサッシシマス第二号を製本におでかけです。
あきうせいさんの漫画と、鈴虫さんのお話、僕のお話が入った素敵冊子、オサッシシマス第二号、ここに大完成です。わーわー、めでたい、めでたすぎ。マジ嬉しいわん。
今回はわたくし、「キコニア・ボイキアナ」に登場した、しなりさんと真瀬くんのちょっとした小説などを書かせていただきました。


ちなみに表紙はこんな感じ。テーマは「踏切」ですよ。
写真小さくてすみませんが、これ、またもや表紙が版画です。生版画。
一冊一冊表紙が違うのよ!違うのよー!という興奮をお伝えしたい表紙。今回、版木の彫り師は鈴虫さんです。
心の目で見れば踏切に見える、というか心の目で!とか言われましたが、いやー、こうして見ると踏切を電車が横切っているようにしか見えないですね。絶賛です。かっこいい。
っていうか素でどうやって彫ったのか知りたい。上手すぎる。
というわけで今回も、たくさんの人に読んでほしいような本になりました。

そして、さらに暫定情報ですが、この本(内容については前号の「さらし特集」との合本の案もあるなど、大幅変更の可能性大ですが)が夏のまんが祭りに出品されるかも。全35ページ。うふん。

しかしこの現物「オサッシシマス」も僕のとりおき分が幾冊かまだ残っておりますゆえ、ほしいかも!という方は、ヲベロンに「クレヨッ☆」とメールなどをぜひ。
会う機会のある人はその時に、会うチャンスのなさげな人はどうにかして、出来うる限りおわけしたいです。
ホントにいっぱい読んでほしい。

といいつつ、今日は日記が長くなりそうなのでレビューについては後日。

「むむむ、わしも一冊ほしいものだ!」

「先生がおっしゃると、なんだかうそくさいです」

「やかましい」

ちゅーわけで、執筆者三人にyu2市長をくわえての四人で北千住に繰り出してお酒のみのみ。

とりあえず、最近思っていた、なんでもないことばに「大」を挟み込むと面白い、という法則を話したら普通に面白がってもらえたので覚え書き。

因数分解→因数大分解
休日出勤→休日大出勤
自動販売機→自動大販売機
執行猶予→執行大猶予

など。
ひさびさに面白さを人と共有できたこの嬉しさ。
あとは諸々おしゃべりなどしつつ。でも基本は静かにお酒。ちょっと大人っぽくて素敵でした。
ってゆーか〆鯖がうめかった。あとは小あじの唐揚。お魚って幸せだわん。

ちなみに次回のオサッシシマスのテーマは「缶コーヒー」に大決定。締め切りは、だいたい九月末です。
毎回「慣例のように表紙より彩度の高い裏表紙」を今度は僕が手がけさせていただくことになりました。
がんばる。
いっぱい塗る。

というわけで、近々オサッシシマス販促ページを発足する予定。
ですが思い返すとうでおぼレビュー集も未着手だし、ちょっと色々頑張りたい感じ。

そんでもって、上野桜カモメの「新!」更新。上野桜さんも少し酔っ払っているようです。
十三日日曜日 一言 「酔い」
目が覚めて昨日の日記を読み返すと、乱文極まりなくて赤面。
あんまり乱文なので、目に耐えない部分をこっそり修正。

ついでに自分の書いたものを読み直しているうちに、明らかな誤字と重複表現を各一個づつ発見!
くびをつりたくなってます。

そんでもって、
うでおぼっ
うでおぼレビューまとめました。ついでにちょっと増補。時間ができたら、第一シリーズもちゃんと見直したいなあ。
台風のせいで五分遅れで始まってしまって、ビデオに撮りそこなった回があるんです(しかも赤穂浪士討ち入りの回)。
あの悔しさが蘇るともしかしたら悔しがり死にとかしてしまいそうなので封印中。
青江分が不足したら見ることにします。

と、忘れないように今後やることメモ。
・自由が丘千葉真一ナイトの時のレビューを書くこと。
・オサッシシマスの特集ページを組むこと。

午後は十二国記のアニメの総集編みたいのを見てたんですけど、これって面白いなあ、案外。
っていうか僕は再放送を好むことに気付いた。まとめて見られるからなんだろうけど。

でもって夜にはエンド・オブ・デイズをほとほと眺めたり。

いやあ、シュワルツェネッガーはタフガイだなあ。
つーてタイピングしつつ、ふと気付いたのですが、「シュワルツェネッガー」と「シュワルツネッガー」ってどっちが正しいの?
と思ってぐーぐる先生にお尋ねしてみると、「シュワルツェネッガー」が約15700件に対し「シュワルツネッガー」は約5700件。
約3:1の割合でツェ派が優勢のモヨン。
でも、世間でシュワちゃんとかって略すのは「言いにくいから」というのもそうでしょうが、実際どっちが正しいか自信がないからじゃないかなあ、とか思ったりしました。どうなんだろ。

というところで、ついでに考え付く別表記を攫ってみたら、いることいること。
「スワルツネガー」「スワルツネッガー」「シュワルツネーガー」「シュワルチェネッガー」と。
結構好き勝手呼んでるみたいです。というかどれもこれも判るような、判らないような。
ていうかいまタイピングしながら頭ゴチャゴチャになってきたのでよします。

…わかってるねんで?!
十四日月曜日 一言 「いうなよ」
昨日は夜更かしして、ひさびさに長い間チャットなどしてました。
だ、だめ人間って言うなあっ。
や。
なんか、色々日々にすることが出来ると、逆にその分だけ趣味に時間をかけられるというか。
趣味は趣味であるから時間を浪費できるわけだなあ、と思ったというかなんというか。
いいわけだけど。

さて昔、ネットゲーに大ハマリしてた時期がありまして、その頃にお知り合いになった人々の近況などを聞かされて、色々思い出したりしてました。
ほとんどの人はネトゲ引退以来、連絡をとる手段がなくなって無沙汰になってるんですね。
仲良くしてもらったことなどを思い出したら、連絡をとってみたい人がたくさんたくさん思い浮かんでもうたいへん。
無性に懐かしくなってしまって色々思案中。

でも、懐かしさだけを先行させて、たーっとフリーアカウントで吶喊して「元気ですかー」とか言うだけ言ってまたすぐ消えちゃうというのも不義理の重ね塗りの気配もするし、悩みどころです。
ああ。なつかしいよう。

ミスタ!子連レ狼2ダ!今日ハ見逃サナカッタゾッ!アギッ!

というわけで子連れ狼2。
大五郎の目のきれいさは、ものすごいですな。まさに、白い絵の具にほんの少しだけ青をおとしたような、白よりも白い白。
でも今日の話は、いたいけな子どもの出てるドラマにしては内容が暗いというか、暗黒っぽい。負の面いっぱい。
人質同志の殺し合いを煽るトビッチョとか。煽られて殺しあう人質とか。
そういうのを見て翼君が歪んだ子に育たないか心配です。ていうか監督も脚本家も、もしや人間嫌いですか。

といいつつ暗黒の人たちの中でますます黒く輝く北大路欣也のタフガイレベルが増してて嬉しかったです。
あっこまで爪隠されるとなんていうか、お前そこまでなる前になんとかせいよ、と言いたくなりますがまあ。

タフガイは人よりはむしろ神に近い存在なので、わかりやすい人助けなどはしないのだと思います。
だからたぶん、ああいう感じでいいんだと思う。

「神は、我を信じよとおっしゃっているだけで、別に人を救うとは言っておられない」
昨日のエンドオブデイズにて笑ってしまった台詞ですが、けだし名言です。
ここで語られる神と、タフガイのなんと似ていること。
「タフガイは悪党をなぎ倒すが、それは人助けを主目的にしているのではない」

色々思うことがあって、色々ニュース読んでるんですけど、うーん。
沖縄のニュースについても結構なんというか、きついというか、おなかにくるのですが、これとか読んでてなんだか分からなくなりました。

暴行途中で座喜味君とジュースを一緒に飲んで休憩したという「子どもの世界」と、残酷な結末とのギャップは、大人の想像力では埋め難い。

て。
いや、なんていうか。実際の絵面を想像すると、物凄い陰惨な絵が浮かぶんですが。
それを「子どもの世界」とか言っちゃうのはどうでしょう。
っていうか、記事書いたやつは 真 性 な の か ?
十五日火曜日 一言 「職人萌え」
我ながら「タフガイは人よりはむしろ神に近い」というのは名言だと思って、あたりに吹聴して回っているヲベロンです。こんばんは。
「だから何?」ということすら躊躇われるようなことを聞かされる身にもなったほうがいいと思います僕。

名言だと思って、というところでひっかかって考えたんですが、名言が名言である条件というのは、
・実生活では(よっぽど特殊な状況を除き)ほとんど使い道がない。
・なんとなく口についちゃう。
ということではあるまいか。

だもので、「びちびちビッチ」もかなり名言としてはかなり王道行ってると思います。

その響きや魚っぽさ全開。っていうかパプワくんに出てたウオを思い出した。

それ系の名言について考えていて、僕の友達が「オレ歴」というものを作っていたのを思い出しました。
ここで「オレ歴」という耳慣れない言葉について、読者諸氏に対して説明ますと、それはいわゆる日本の「元号」のように、紀元前紀元後を決める西暦のように、勝手に独自なるコヨミを作成するというオレイズム溢れる蛮行である!
と。まあ、そういうアレなのですがともかく。
その、次の言葉は、オレ歴の歴史を彼の誕生から語ってもらった時に採取したのですが、僕はこれ、上記の二点に照らし合わせてみるに非常に力強い名言だと思うんです。

「オレ歴紀元前ニ年、オレ、生まれる」

…オマエその、オレ歴が始まるまでの二年間何してた一体。

図書館に出かけて本の予約をガシガシガシガシ。
竹内てるよという詩人についてほんのり興味が湧いたので、取り寄せをお願いしてみたのと、
あとはこれまたネットで興味を持った幾冊かの本を。図書館はまったくもって便利です。

でもって、もののついでに今日借りてゆく本などを探していると、不意に神か何かが僕の脳から記憶を掘り起こしてくれました。そういえば前々から、職人の自伝とか、講演記録なんかを読みたい読みたいと思っていたのです。
腕一本で生きてる人たちの記録を、ぜひに。
というわけで記憶が消えないうちに棚に急いで行って、『鳶頭政五郎覚え書き/とんびの独言』(山口政五郎/角川書店)を借りてみました。ありがとう、神とか。

つーわけで早速ほくほくしながら読んでるんですが、面白いよコレー!

>三(略)さん
結論から申し上げますと、こげぱんはカビます。あわわわ、メイドさん、メイドさん、こげぱんをお風呂にー!

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