うつぶせであたしは目覚めた。
部屋にはカーテン越しの、うす青い光が差し込んでいる。
なんだかうなされた後のような気分だった。眠りが深すぎたような、そんな気分だ。
眠りが波のような周期を描くと言うのなら、バイオリズムの一番底の部分で目覚めてしまったような気分だった。
けして気持ちのよい目覚めではなかった。
何か夢を見た気もするが、思い出せるはずもない。あまりにもまぶたが重かった。
しばらく、その姿勢のまま半目で枕もとを睨んだ。
意識を振り絞るように手を伸ばし、目覚し時計の位置を文字盤が見えるように直す。

七時、四十五分。

「うむ」
納得して目をつぶりかけ、待て待て待て、と低く声に出す。
非常に危機感が低かったけれど、そろそろ遅刻する時間だった。
徐々に頭がはっきりしてくる。
あたしは枕に顔をうずめ、それから起き上がった。
そういえば今日は母がいるんだっけ。

支度を済ませて階下に降りると、母が朝食の用意をしてくれていた。
テーブルの上にはたまごと簡単なサラダ、居間には音楽が流れている。
「ねえ、音楽止めるよ」
キッチンにいる母に尋ねてみるけれど返事がない。
勝手に音楽を止めて、あたしはテレビをつけた。
ニュースが流れ出す。
ご飯をよそってきてくれた母が、テレビから聞こえる人の喋り声に口を曲げた。
「食べながらテレビ見るの、よしなさいよ」
言いながら、眉をひそめるみたいにしてこつん、と茶碗を置く。
「おはようございます。いただきます」
箸を両手で持って、あたしはテレビの方を見た。
昨日からの、鉄ペリカン欠航の続報が流れている。
母が食事時にテレビを嫌うのは、自分が見入ってしまうからだ。
証拠に、すぐ母はニュースの内容で話をはじめる。
「月曜日までに復旧してくれるかしら」
「ううむ」
「休みが終わるまでに戻れないと、困るわねえ」
「まあ、仕方ないんじゃないの。困ってもどうにもならないんだから」
「そりゃそうなんだけど」
母がテレビの方を向いて嫌そうな顔をしつつも、思い出したように言った。
「今日はお弁当作っといてあげたわよ、感謝なさい」
思っても見なかった幸運に、あたしは飲みかけのコップを慌てて置いた。
「うええ、ホントですか、うれしい、ありがとう」
急いで言うと、口の端から牛乳がすこし垂れる。
思わず笑ってしまって、そのままあたしは笑いながら口を拭いた。
「きたないわね、もう、しっかりしてよ」
母がつられて笑う。

しばらく黙々と食事を続けていると、母が不思議そうに尋ねてきた。
「あなた、自分でつけたくせに全然見てないのね」
「最後の星占い見てから出ると、丁度なんだよ。それに、聞いてるんだって」
呆れたような母のため息。テレビの天気予報。この辺りはしばらく晴天が続くらしい。
「バイク乗って平気なの?」
「何が?」
「手、怪我してるじゃない」
「うん」
頭の中で軽い危険信号が点滅し始めた。
母の目が、火のそばで遊ぶ子供を見るような目になってきている。
「平気だよ、昨日だって乗って帰ってきたんだから」
「でもね」
「それに、もうバイク乗らなかったら遅刻確定の時間です。ごちそうさま」
畳み掛けるように言って席を立つ。テレビではすでに星占いが始まっていた。
今日のみずがめ座は、良くも悪くもない運勢らしい。
「いつもより、気をつけるのよ」
母が非難するように、それでいて少し諦めたように言った。
不可抗力と事後承諾でうやむやにされると弱い、というのは、あたしが母に見出した唯一の弱点だった。
今日のところは仕方ないけど、と母はよく言う。
その代わりこの次はきちんとなさい、とよく母は言う。

茶碗を置いて、ふ、と昨日のことを思い出した。
桑納さんが言っていたのも、同じことじゃないだろうか。
<大事なのは、次、ということじゃないでしょうか>
まるで頭の中で反響するように、わん、とその言葉が響いた。
いつもいつもあたしは母の小言を聞き流していたけれど、母が言っていたのは、あんなに重たい言葉と同じ意味だったんじゃないだろうか。
どうして、今まであたしは母の小言を真剣に受け止めなかったのだろう、とあたしは考えた。
それは口にする人が違うからではない。
聞く側の、あたしの心構えで、言葉は心に響いたり響かなかったりするのだ。
不意にそんなことに思い当たった。
そう思うと、うやむやにして誤魔化すことが、ひどく申し訳ないような気持ちになった。
あたしは、テレビを見ている母の横顔に目を向ける。
一瞬だけ、全てを話してしまいたいような衝動に駆られた。

「…何してるの」
気付いたように母がこっちを向く。
ううん、と返事しながらテレビを向いて、あたしは息をついた。
切羽詰った衝動が、たまった息とともにするりと抜ける。
全部を話してしまいたい、だなんて、臆病にも程がある。
あたしたちはいつだって孤独だ。
何を気弱になっているの。

星占いは蠍座にうつっていた。今日もいつもどおり学校に着くはずだった。
帰りには、ヒューヴを見舞いに行こう。
ついでに発着場の皆にお菓子でも買ってゆこう。
なるべく早退や居眠りはしないようにしよう。
時間が余れば、母にもケーキを買って帰ろう。
「…今日は夕方に帰るから」
あたしは母に声をかけ、鞄を背負って居間を出た。


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