ぶるぶぶぶ、と目覚ましの振動であたしは目を覚ました。
えあ、と我ながら不可思議な声を上げて体を起こすと、天井に後頭部がぶつかった。
ぼんやりした痛みの中、徐々に記憶がはっきりしてくる。
やだな、夢見てたんだ。
呟いて頭をさするあたしは、まだヒューヴの背中の上だ。
飛行器独特の揺れが続いている。
ここは軌道エレベータ駅からの帰り道。
首を振り、口元を拭いながらあたしは振動の元を探した。
腰にくくりつけた目覚ましを、手探りで止める。
時刻は二時半。
高度を確認してゴーグルを上げ、あたしはユニットから上半身を出した。

びょおお、と風がふきつけてくる。
寒、と思わず口にしてあたしは首を震わせた。
さすがにこれだけ高度があると、夏だといっても風がつめたい。
「ヒューヴ、あたし寝ちゃったよ」
大声で叫ぶと、返事をするようにヒューヴの長い嘴が少し動いた。
聞こえたみたい。
満足して手を伸ばし、彼の首に触れながら、あたしは景色を眺めた。
はるか遠くの地上に、ぽつぽつと灯りが見える。
あれはどこの町だろう。
地平線は遠く、灯りは少なく、森や海が主役の、この星の風景。
あたしは、ほう、と息をついた。
それはとても勇気付けられる風景だった。
別の星では、町の灯りで夜が、光の海のようなのだと聞く。
まあ、そんな風景も、いつか見てみたいとは思うけれど。
とりあえずはこれで充分。
いつも隣にいる孤独なら、わかりやすい方がいいと思うし。
すっきりした気持ちをかみしめて、あたしは身体を引っ込める。

ユニットは流線型のリュックサックのような形だ。
ヒューヴの背中の大きさにあわせてくくりつけ、微調整してある。
それは天井を閉じれば、空気抵抗の邪魔にならないライン。
その中は、小さい頃ベッドの下に作った秘密基地のような感覚だった。
内側に塗った発光剤の淡い光に包まれて、ナビを覗き込む。
随分眠っていたらしい。気がつけばもうアジトの森まで少しだった。
あくびをかみ殺しながら体の向きを変え、あたしは今夜のフライトを思い出す。
今日は久しぶりに荷物ではなく、人を運んだ。
今夜の後部座席に乗ったのは、仕立てのスーツと揃いの帽子の若いお金持ちだ。
あたしはポケットから、貰った名刺を引っ張り出して確認する。
立花、コプト。
口の中でその響きを繰り返して、あたしは彼の顔を思い出した。
気弱な感じがちょっと魅力的な、好青年だった。
あたしは新しいコレクションに加わった名刺を眺めながら、少しだけ笑う。
きっと、彼と会うことはもう二度とない。
彼が働いているのは軌道エレベータのもっと上、首都ハーヴェイだ。
今までも、そしてこれからも、まず、99パーセント、あたしには縁がない世界。
なんだか世界はダイナミックだ。
それは普通に学校に通っているだけでは、決して出会えない人、聞けない話。
それは学校の窓からでは、絶対に見ることのできない景色。
一期一会なんて言葉も、それなりに実感できそうな気がする。
ヒューヴの鼓動が、ユニット越しにほんのり伝わってきた気がした。

学校の友達はみんな、ファーストフードでアルバイトしたり男の子とよろしくやったりで忙しい。
恋愛に興味を示さないあたしを心配してか、しなりも彼氏の一人くらい作りなよ、なんてお説教顔で言ってくれるけれど、誰も、誰一人として、あたしがヒューヴに乗って空を飛んでいることを知らない。
みんなあたしのことを、学校が終わるなり家に帰って、ドラマの再放送にかじりついているような子だと思っているのだ。
だから、これは、あたしだけの世界。
孤独だけれど、それはとてもスリリングだ。
意味もなく友達同士べったりしている学校と比べると、とても刹那な感じがする。
でもそれこそが生きている、と思う。

程なくアジトの森に到着する。
そこは連絡道路から少し離れた森の中だ。
ユニットから飛び降りると、地面の確かな感触が、足にここちよかった。
「ただいま」
誰が待っているわけでもないけれど、なんとなくあたしは呟いた。
あたしは目をこすり、少し休んでいこうかなあ、と樹上の小さなアジトを見上げる。
アジトといっても、それは中古の箱型ユニットを樹上に固定しただけのもので、最近は殆ど物置代わりにしか使っていない。
仮眠ぐらいなら出来るけれど、アジトと呼ぶには少しおこがましい感じだ。
正規の発着場と付き合いはあるのだが、色々便利なので普段はここを拠点にしている。
「…いやいや」
あたしは呟いて首を振った。
それほどのんびりしている暇はないことを思い出したのだ。
この朝早くには、久しぶりに母が帰ってくるはずだった。
まだ時間には少し余裕があったけれど、見つからないうちに家に帰り着いておかなければならない。それが今は最優先だった。
あたしはバックパックをきちんと身体に括りなおし、ホバーバイクを取りに森へ戻る。

バイクを森から引っ張り出す時に、木の枝で足を引っかける。
いたた、と片足で跳ねながらあたしはバイクに飛び乗った。
「またね、ヒューヴ」
あたしが手を振ると、ヒューヴが木々の向こうで喉を鳴らした。
風防を引き上げてエンジンをかけると、機体にぐんぐんと力が満ちてゆくのを感じる。
限界までアクセルを開かないで、そのときが来るのを待つ。
ぱらぱら、と足元の砂が弾き飛ぶ音がして、あたしは小さく呟いた。
いざ家路に。
ぐっ、と沈み込むような重力を感じて、あたしは飛び出す。
見送ってくれるヒューヴの姿が、一足飛びに遠くなって行く。
かわいいヒューヴ、魅力的な空の生活、しばしのお別れ。
ハンドルを掴みなおして、あたしは足を突っ張った。

ゴーグルに映る風景が、流れるように過ぎてゆく。
最近はホバーの感覚にも慣れ、このバイクにも、ようやく愛着が湧いてきた。
おんぼろで、対地距離だってそれほど多く取れないホバーバイク。
両親から買うのを許してもらったのは、この中古バイクが一台っきりだ。
父も母も、仕事が忙しい反動であたしに過保護。
学校を卒業するまでは我慢しなさい、が両親の口癖。
あんまり普段顔を合わせないから、あたしを縛っておかないと不安みたい。

溶けるように流れてゆく黒と青と紺色の風景。カーブのたびに、ぐぐ、と傾く視界。
ふ、と、おなかが空いてきたことに気付いて、あたしは唾を飲み込んだ。
どこかのポケットにガムでも入ってなかったっけ、なんて考えてみるけれど、あるわけもない。まだ町は遠い。
景色があたしの周りを、ぐんぐんと流れてゆく。

飛ばしながら、ぼんやりと両親の顔を思い浮かべた。
今ごろ、ヘリプロン経由の夜行鉄ペリカンに乗って、母はルームオアシスの停留所に向かっている最中だ。今はどのあたりだろう。もう、内海は越えたのだろうか。
父は何をしているだろう。父のことだから、まだ仕事中かもしれない。
なぜだか、友達を思い浮かべる時とは違って、つめたい後ろめたさがあたしを包んだ。
家でぐっすり眠っていないあたしの姿を、両親は想像すらしていないだろう。
ましてや娘が飛行器乗りだなんて、誰に聞かされたって信じないに違いない。
娘が自分たちに秘密を持つなんて、微塵も思っていない、そんな両親。
「でも、お父さんお母さん、あたし、もうすぐ十八なのよ」
あたしは呟きながら、ハンドルを大きく右に切った。
どうしてだか、両親を裏切っているような気分になった。

結局、一時間ほどで町まで辿り着いた。
そこからはスピードを落として、ゆっくりと街路を走る。
早朝で、まだ夜も明けていない町には、人の姿がない。
夜明けを待つ空は驚くくらい真っ暗で、星がとてもきれいだった。
あたしは息を吐きながらゴーグルを外した。
目の周りに風が当たって冷たい。
頭を振って、その感覚をたっぷりと味わった。
とても気持ちが良かった。
小声で、古い歌を歌った。
僕が夏を好きな理由は、冬を好きな理由と同じ。
僕が夏を好きな理由は、冬を好きな理由と同じ。
あたしはまるで歌に酔うように、ゆっくりとバイクを滑らせる。

家から少し離れた共同ガレージにバイクを入れて、あたしは忍び足で家の裏へ回った。
面倒くさいけれど、これが手順。
そうっと裏のフェンスを乗り越えて、勝手口をチェックする。
その次はなるべく音を立てないように玄関まで歩き、ドアを確認する。
両方のドアとも、蝶番のところに貼ったセロテープは、千切れていない。
開いた形跡はないということだ。
予定通り、まだ母は帰って来ていなかった。
嬉しいんだか嬉しくないのだか、判らない。なんだか微妙な気持ちだった。
あたしはため息をついて蝶番のテープを剥がし、もう一度裏手へ回る。
「すれちがうのに、すれちがわないわね」
自嘲気味に呟いて靴を脱ぎ、柿の木を上って、二階の窓から自分の部屋に入った。

ようやく辿り着いた部屋に、小声でただいまを言ってジャケットを脱いだ。
時計を見ると、光る文字盤がさすのは午前四時半。
軽い空腹のまま着替え、あたしはベッドにもぐりこんだ。
明日も学校がある。早起きしなきゃ。


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