[1] 夜に洗濯をする。
9月2日・夜
洗濯をしている瞬間というのは、本当に、無心になれると思う。
色々なことを忘れて、洗濯機の横に座って、ごうんごうんという力強い回転を聞いて、あっという間に時間がすぎる。あたしにとって、絶対的に必要な時間だ。
恭平がいなくなってしまった時も、美月が二階に引っ越していってしまったときも、八戸さんが死んでしまったときも、あたしは、洗濯をした。洗濯をしていた。
たぶん、洗濯はあたしにとって必要なことなのだと思う。
いつもの椅子に座って、あたしは回る洗濯機に耳をつけた。
前の洗濯機より、随分静かになっているけれど、中で何かの回る音は、たしかに聞こえる。
あたしは目をつぶった。
時々、考える。
ああ、やっぱりあたし女の子なんだ、って考える。一人でいると、特にそう思う。
別に、生理の日に限ったことじゃないし、重いものを持ち上げられないとか、そういうことでもないのだ。もっと、深いところで、あたしは自分が女だということを考える。
たとえば、美月のことだ。
あたしは、美月のことをすごく心配する。今日だって、いつだって、そうだ。
美月は、自分では強いつもりでいるけれど、とても脆い面がある。あたしが急にいなくなったら、美月はやっていけないと思う。
美月は、自分では気付いていないみたいだけど孤独にとっても弱い。
だから、あたしは美月のそばを離れてはいけないような気がする。
そして、あたしは思う。
<ああ、あたしやっぱり女の子なんだ>
あたしのまわりにいる人たちは、みんな、しっかりしてるようで、しっかりしていない。
宗谷さんは知らない人とろくに話ができないし、恭平は放っとくとすぐに喧嘩を始める。
美月は言わなきゃご飯だって食べないし、修二くんだって、時々おかしいときがある。
だから、誰かと一緒にいるとあたしは張り切ってしまうのだ。
自分でも思うから、たぶん、正しい評価だと思うのだけれど、あたしは、乗せられやすい性格をしていると思う。
いつもあたしは、あたしがやらなきゃ誰がやるのっ、と息を荒くして頑張ってしまう。
おまけに、そんな自分が、嫌いではない。変かも、と思うこともあるけれど、やっぱり、それはそれで、あたしの性分にあってるんだと最後には納得してしまう。
でも、一人でいる時は別だ。
別に誰かと一緒にいる時が落ち着かないわけじゃないけれど、一人でいると、落ち着く。
そして、あたしは気持ちを整理する。洗濯機に耳をつけて。
あたしは、修二くんのことを思った。
あたしはこのアーケードで育った。あたしは、この街で大きくなった。これからもずっとこ
こで暮らすのだろうと思っていた。美月のそばにいて、今までみたいに美月の世話を焼きながら、ゆっくりと大人になってゆくのだろうと思っていた。
あきらめてるだとか、そういうことじゃなくて、それが当然だと思っていたのだ。
でも、修二くんはどうしてもあたしにアーケードの外を見せたくてしょうがないらしい。外の世界には野球場がある、とか、外の世界には大きな動物園があるとか、外の世界では電車が通っているとか、アーケードにはないものの話ばかりする。
いつも、修二くんは<外の世界>って言う。アーケードと外の世界を区別して話す。確かにあたしはこの束菜市から出たことがない。
けど、あたしには美月がいる。美月を置いて行けない。
美月は、自分の子でもないのにあたしを育ててくれた。
美月はきっと、行け、って言ってくれる。絶対に美月は我侭を言わない。たぶん、美月は自分より、他人を大事にしてしまう人だ。美月はそういう人なのだ。
けど、だからこそ、それで美月が駄目になってしまうのが分かっていて、あたしは美月を置いてなんか行けない。日にちの問題ではないのだ。あたしは、美月を一人にできない。
<ああ、あたしやっぱり女の子なんだ>って、思う。
回転が止まり、控えめな電子音がして、あたしは洗濯機から耳を離した。
あたしは自分の手を見た。白くて、細い。弱そうな手。だけど、これはあたしの手だ。
あたしは自分の手で髪をかきあげ、自分の足で立ち上がった。洗濯をするたびに、あたしは自分の身体を取り戻す。
籐の篭に洗濯物を抱えて、あたしは夜の屋上に上がる。
うちの屋上は回りのビルよりも少しだけ、高い。
かんかん音がなる、鉄の階段。気持ち良く乾いた、空気。ゆっくりと姿を現してくる、夜空。
あたしはこのビルが、大好きだ。
美月のシャツを干しながら、あたしは階下の部屋を思った。
あたしのベッドには誰もいない。美月のベッドにも誰も眠っていない。暗い部屋のベッドがその上で眠る主人を待っている。静かに、いつまでも。
少し、怖い気がした。
お化けみたいだとかそういう類の怖さではなくて、なんだか、すごく人間に似ているような気がしたのだ。人間も、色々なものを待ち続ける。
急にいなくなった恋人だったり、なくした安心だったり、かなわない夢だったり、美月の所にくる人が、待ち続けて、捜し続けている色々なもののことをあたしは思った。
あたしは屋上の夜空を見上げ、今夜も何かを捜している美月のことを思った。
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