僕の命を繋ぐ酸素のようなもの。

言葉を突き詰めれば突き詰めるほど、それは無言に近付いてゆく。
それはソシュールを紐解いたりなんたりの面倒な作業を繰り返すことで得られた結論なんかじゃなくて。

言葉というものについて向き合えば向き合うほど、たぶん、それを思うのだと思う。
自分がどれだけ言葉に対して、誠実に向き合えているのか、僕にはよく分からないけれど。

最小限の言葉で話すこと。

最小限の言葉、ということを強く思う。
余計な言葉を付け加えれば付け加えるほど、伝えたい事は、ぼやけて輪郭をなくしてゆく。
形容詞がいらない世界に行きたい。
好きだ、と言う言葉の中に含まれるものが全て同じで、等級の差のない世界に行きたい。
言葉の重みに差のない、形容詞のない国を僕は思う。
事実だけを、ただ語る単純な言葉が、単純な言葉であることを赦される場所が欲しい。

まだ言葉を使うということに不誠実だったころ、僕は言葉のない国に行きたいと思っていた。
けれど今ではそれを不誠実だと思う。
僕らには言葉しかない。
言葉だけが僕とあなたを繋ぐ。身体ではない。身体は二人を、五十八億人を繋がない。
そう思うことは宗教と同じだ。
僕が真実に信じる宗教はただひとつ、言葉だけだ。

そのうえであえて、言葉少ない人の方が、言葉に誠実であると、僕は思う。
神を信じると常に口に出して確認していなければ、神を信じていることに安心できない人が滑稽なように。
言葉を信じると言いながら、たくさんの言葉で沈黙の入る隙を拒否しなければ安心できない人は滑稽だ。

喋れない、書けないのではなくて、喋らない、書かない、ということの誠実さを、僕はとても思う。
小説を書いて生きてゆきたいと思っているくせに僕はとても傲慢で、矛盾している。
矛盾しているようだけれど、僕はとても強く、それを思う。

ヲベロンくんは大発見をよくするよね、と先日友達に言われたりした。
たぶんそれは、本当なのだろう。
僕は多分とても無知で、そしてそれはかなり、幸せなことなのだろうと思う。

またいつか。