ほうっておくということ

 I wantyoutoleavemealone.
直訳すると、「ほっといてよ」。
悪意だとか敵意だとか疎意だとかと結びついているわけではない、ただの「ほっといてよ」を認めよう、とか。
そういう感じの自分キャンペーン。

最近。
あなたが嫌だから話し掛けないでよ、ってわけではない、単なる、ほっといてよ、って感じが、とかく認めづらくなっているような気がするのです。
それは「気にしないで」というのにとても近い感じ。
このところ常々思っているのは、そういう感じが如何に理解されないか、ということです。
ううむ。うまく言うの、難しいんだけど。

とかく僕らはそばにいるとか続けるとかそういう積極的なコミュニケーションを「正」と定義し、ほっておくとかやめちゃうとか、そういうアクションを伴わない行動を「負」と定義しがちのような気がします。
ドラマなんか見てても、一人にしといて、って言ってるのに、ほっとけないよ、って言ってみたりとか。
そういう「正」の反応行動が「正しい」みたいなそういう風潮があるような気がするんです。

いやまあ、そりゃまあそっちのほうが正しい場合もあるので、一概には言えません。
ていうか、ほっといてよ→ほっときます、だとドラマは展開しないので仕方ないっちゃあ仕方ないし、「追いかけてきて」って意味で「一人にしてよ」なんてのたまう人間がいるってのも確かなんですが。
ていうか僕だってそういう意味でほっといてよ、っていう時もあるんですけど。
でもそればっかじゃないだろーおー、とか。
リアルライフはドラマじゃないだろーおー、とか。
みんながみんなあいのりみたいの(端的な表現)が好きってわけじゃねえだろーおー、とか。
思うんです最近。

いやね。「ほっといてあげるけど君はほっとかれてる間に何をしてるの」なんていわれると大変困るのですが。
ほっとかれてる、としか返事のしようがない。みたいな。
やっぱりうまくいえねえでやんの。

久々になんかこういう感じの日記を書いてしまいました。
あー、うー。
別に嫌なことがあったわけではないです。
ただ、あんまりあくせくしたり、自分を追い込んだりするのが向かない時だってあるんだよう、とか。
言ってみたい感じ。
かしら。
僕は僕で頑張っておりますのでだいじょうぶ。

でもって。黒田硫黄の漫画の中ですてきな台詞があったので、引用したいと思います。

「僕は/東京で幸南に会えたら/天狗じゃなくなると思う/そうやって生涯になん度も/天狗になったりならなかったり」(大日本天狗党絵詞第三巻/黒田硫黄/アフタヌーンKCより)

生涯に何度も、何度も、色々なことを繰り返して。
そやって生きてくんです。変わって、流れて、ぎゅるんぎゅるんして、時々前に戻ったり、立ち止まったりして。
そやって生きてくことに、誇りを持ちたいなあ。

そんでもってさらに、「ほっとく」と「無視する」の違いは厳密に存在するんだよなあ、なんてぐずぐず呟く僕はデジタルでなくアナログタイプのダメ人間。

トップに戻る

地下室に戻る