ウィニーは小さくなんかない
ウィニーは低い唸り声を上げながら、その首にはめられた魔法の輪をいまいましく思った。
毎月、15日を過ぎた頃になると、いつもしくしくと痛み出すのだ。
ウィニーは彼にその輪をはめた相手の顔を決して忘れない。
決してだ。
前任の引率者は、ドワーフの老人だった。
名前はなんと言っただろうか。
とにかく。
あまり美味くはなかった、とウィニーは彼の事を思い出した。
ぐい、と喉の痛みが増す。
彼は口を大きく開いて毒腺に貯まった毒液を吐き出した。じう、と砂の焦げる音がした。
新しい引率者の名前はなんと言ったか。
ドリー。
ドリー。
どこかで聞いた名前だ、とウィニーはその名前を反芻した。
どこかで聞き覚えはあるのだが、思い出せなかった。
しかしいずれにせよ、気に食わないやつであることだけは確かだった。
いつか食い殺してやろう、と彼は何度目かになる決意を固めた。
柔らかい肉に爪が食い込むときの感触を思い出し、彼はほくそえんだ。
そして、体を震わせてウィニーは吠え声を上げた。空気がびりびり震える。すこしだけ良い気分だった。
殺意は、彼にとって空腹のようなものであった。
生きるために殺すのではない。彼にとっては殺すことこそが生きていることだった。
向こうの岩場に月を背負い、アマゾン生まれの女が座っている。
夜に眠らない女は、このところいつも自分を観察しているようだった。
彼は彼を押さえつける魔法の輪を後足で引っかきながら、その女を睨みつけた。
あの女もいつか、食い殺してやろう。
彼は心に決めた。
「…ウィニー」
声とともに鉄と機械油のにおいが近付いてきた。実を言うと、彼はそのにおいが嫌いではなかった。
嫌いではなかったけれど、たかが人間相手にいい顔をするのも癪だったので、誇り高い彼は首をそっぽに向けた。
引率者ドリーでさえ、魔法の鍵を手にしていないときはけして彼に近付かない。
その彼に生身で近付いてくるような者は、一人しか思い当たらなかった。
そのバトルクイーンの名前はなんと言ったか。
顔を背けながら、彼は鼻腔を大きく広げて息を吸い込んだ。機械油の、甘苦いようなにおいがした。
クララ。
彼は声の主の名前を思い出した。
引率者ドリーに連れられて来て以来、ずっと泣いている意気地のないオートマータだ。
クララは砂を踏みしめながら、下を向いて歩いてくる。
さっきまで眠っていたらしい。彼女は女王の剣も、<仇なす光>も手にしてはいない。
ウィニーは鼻を鳴らし、針のついた尻尾を振って虫を払った。自分に近付くには無用心というしかない。
「…あまり大きな声を出すと、皆が困るから」
囁くような声で言って、クララは彼の頭の横に座った。
砂の入らないように、関節だけを防護した服を着ている。
鉄色に輝く腕と、砂漠に降る月光のように白い顔がアンバランスだった。
「夜に吠えてはいけないわ、ウィニー」
知ったことかと言ってやろうかと思ったが、無知な半機械の娘に竜の言語が理解できるはずもない。
黙って横目で彼女を睨み、ウィニーは再び鼻腔を広げて機械油のにおいを堪能した。
「ヴィスコヴィッツは、どうしてわたしなんかを選んだんだろう…」
クララはいつものように呟きながらその機械で出来た腕をウィニーの鼻に乗せた。
反射的に食いちぎってしまいそうだったが、機械油のうっとりするにおいがすんでのところで彼を思いとどまらせた。
「…あのまま死にたかったのに」
ウィニーは彼女の腕を払い、大きく口を開いてあくびをした。
この意気地のない小娘の泣き言を聞くのにも、いい加減うんざりする頃だった。
口をあけたまま、彼は小さなクララの頭を見た。
今ならさしたる苦労もなく、それを食いちぎってやることは出来そうだった。
やってみるか、と彼は思った。
「…こんな体、欲しくなかったのよ」
クララが悲しそうに呟いた。
ほとんど暇つぶしにその頭を食いちぎってやろうと思っていた彼は、どういうわけか思い止まることにした。
深い意味はなかったのかもしれない。
しかし、理由もなく思いとどまるのは、まるでこの憐れで泣き虫の生きものに同情したようで癪だった。
そこで彼は、こう考えて納得することにした。
体のほとんどが機械の小娘を食い殺したところで別に腹が満ちるわけではない。気分だって思ったほど紛れないだろう。
同情したわけではないが、今夜のところは彼女の頭をもぎとるのを止めにしよう。
そう自分に言い聞かせながら彼は、クララの頭を噛み潰さないように慎重に口を閉じた。
機械油の素晴らしいにおいを吸い込みながら彼はもう一度、心の中で繰り返した。
<今夜のところは>
ウィニー・ザ・ワイバーン。
それが誇り高い彼の名前だ。