このタイプのユニットは、荷台と運転席の壁が薄い。
あたしはハッチを閉じ、仰向けになって荷台の森山に声をかけた。
「ねえ、森山、聞こえる?」
声をかけてしばらくすると、壁を隔てた向こうの、あたしのお腹の上あたりからくぐもった返事が聞こえてきた。
「うん」
なんだか、不思議な位置関係だった。暗いせいもあるのだろうか。
壁一枚を隔てて、すぐそばに森山の頭がある。
それはなんだか、落ち着くような落ち着かないような、不思議な感じだった。
「聞こえるならいいの」
「…うん」
「風に乗ったから、もう何分もしないうちにつくと、思う」
「うん」
森山はさっきから、うん、しか言わない。
何を考えているのだろう、とお腹の上に手を乗せてあたしは思った。
そして、いつの間にか、森山に同い年のような口をきいている自分に気付いた。
いつからこんな口のききかたをしているのだろう。
気にならないのが不思議だった。
「あの」
あたしは思い切って口を開いた。
「森山は、あの白いムル喰いをどう思ってるの?」
「…」
返事は沈黙だった。
そもそも質問が漠然としすぎているな、とあたしは思った。
取りようによっては、あたしがムル喰いをどう思っているのか知らないわけじゃないでしょ、と遠回しに非難しているようにも取れた。
無論、そういう非難めいた気持ちがないと言ったら嘘になるが、別に森山の思っていることで彼を責めても仕方がないことだった。
「あたしはムル喰いが好きじゃないわ」
遠回しな非難だと取られたくなかったので、そう、付け足した。
「だって、こわい思いをしたもの」
「…そうだな」
「でも、あたしの事はいいの。森山が、どう思ってるのか、聞いてみたいの」
あたしは目の前の壁を見つめ、彼の返事を待つ。
「好きだ、とは言えない」
しばらく黙って、森山は低い声で答えた。意外な返事だった。
「正直、いままでテストパイロットをしてきて、あれにあまり愛着を感じたことはなかった。どちらかと言ったら、恐怖を感じていたといった方が正しいかも知れん。…勿論それだけではないけれど、俺はあれを、機械だと思って接していた」
声の調子が少し変わった。
「軍隊には、乗器に名前をつけるという習慣がない」
躊躇するように、森山は言葉を切る。
「だが、名前をつける習慣があったとしても、俺はあれに名前をつけなかっただろう」
「…」
「今は少し、違う」
あたしは森山が何を言おうとしているのか、ただ黙って続きを聞いた。
「…昨日、俺の足を切断したのは確かにあれの爪だった。ユニットからタイミング悪く身体を出して、木に引っ掛かって落ちた。俺は落ちながら、あれが身体を翻してこっちに向かってくるのを見た」
森山は、喉に何かが絡んだように、んん、と咳をした。
「一度、地面に落ちた。次に、足を捕まれて体が浮くのを感じた。空中で自分の足が、自分の体から離れる感じが判った。俺はそのまま地面に叩きつけられた」
「…」
「気を失う前に思ったのは、これで俺は死ぬのだろう、ということだった」
あたしは目をつぶって、ムル喰いのことを思った。
森山が倒れていた陽だまりを思い出した。
ムル喰いが木をなぎ倒す、めきめきいう音を思い出した。
フレッチャーを打ち込んだ時の、ヒューヴの悲鳴を思い出した。
そして、ため息をついた。
あたしは唾を飲み込み、繰り返す記憶を打ち消すように首を振った。
「…今朝、自分が生きていることを知って、俺は単純に感謝した。そして次に、あれがいなくなってせいせいした、と思った。あれは自然の中では永く生きられない。冷たいようだが、自分の命が助かった上に、あれのテストパイロットから解放されると思ったら、自分が足の一本で済んだというのは儲けものだと思った」
「…」
「軽蔑するだろう」
森山は、息をつくみたいにして黙った。返事を期待した声ではなかった。
あたしは返事をしなかった。黙って、息を潜めたまま、続きを待った。
「今朝、鈴木と話し、ヒューヴァーパイヴァーを見てしばらく過ごした」
「…」
あたしは身じろぎをした。
壁の向こうでも、ごそりと身動きをする音が響く。
「そして、あれは、ムル喰いは、やはり生き物なのだ、と思った」
さっきより小さいが、響く声だった。
今までの声は、横を向いているような声だったが、今度は仰向けになったのかもしれなかった。
「あのムル喰いは、考えてみれば哀れなやつだった」
森山が呟くような声が聞こえた。
あたしは彼の声に耳を傾ける。
「今頃あれは、腹をすかせているだろうと思う」
「…どうして?」
「あれは、自然の中では生きられない」
「?」
「自力では餌を消化できない身体なんだ。特定の薬品だか酵素だかを同時に摂取しないと、餌を消化できない。そういう風に作られている。…安全の為だと聞いた」
「…そう」
「うまくすれば数日は生きるだろうが、長くは生きられない」
そういう風に作られている、と森山は低い声で呟いた。
あたしはもう一度寝返りをうって、こっそりナビの画面をみつめた。
薄緑色に光るモニターには、自分の位置と、目的地の位置が大まかに示されている。
なんだか、暗闇を見つめながら聞くのが辛い話だった。
ナビの画面に意味はなかったけれど、ただぼんやりそれを見つめながらあたしは森山の話を聞いた。
壁を隔て、森山は言った。思い切ったような声だった。
「俺はテクンだ。体の七割が、機械だ」
「…うん」
「だから、子を残せん」
不意の話に、あたしは黙った。
何と返事をしていいのか判らなかった。
「あれも、同じだ。初めから、子を残せないように作られている」
「…」
「子を残せず、自分では餌を消化することさえできない。うまく言えないが、はじめて俺は、あれを哀れだと思った。それは安い同情なのかもしれないが、そう思った」
「森山…」
「鈴木は、若い」
「…」
「そばにいるだけで、命を感じる。それは、素晴らしいことだと思う」
「…」
「しかし、俺はもう、若くないのだな」
そんなことない、と言おうとして声がしゃがれた。
咳払いをして、あたしはもう一度言い直す。
「そんなこと、ないと思う」
「…そんなこと、あるんだ」
寂しそうに、森山は呟いた。
「怒らないで聞いてくれるか」
あたしは少し逡巡して、まあ、と返事をした。
「あれは、ムル喰いは、俺を殺すつもりがなかったんじゃないかと思うんだ」
「…」
「判らない。根拠はないし、たぶん、俺の足を落とした時のあれは、本気だったと思う。…だが」
感傷的な声だった。
すこし、お腹が重たくなるのを感じる。初夢さんが言ったことが蘇ってきた。
∧あの軍人さん、割と思いつめてるみたいだから∨
それを言わなければならないな、と思うと気が滅入った。
何回か深呼吸をして、あたしは口を開いた。
「今こういうことを言っても仕方ないかも知れないけど、あたしはやっぱりムル喰いはやっぱりムル喰いだと思う」
「…」
「ごめん、なんだか、判ったようなことを言って」
「…いや」
沈み込む声だった。
やがてナビが点滅して、設定したあたりについたことを知らせた。
音はオフにしたままだったので、森山はたぶんまだ到着したことに気付いてはいないはずだった。
高度を確認して、あたしは細くハッチを開く。
それほど風は強くない。
ベルトで身体を固定して、あたしは身体を出した。
身体を出すとさすがにつめたい風が吹き付けてきた。
あたりは森林地帯の外れだった。
森と呼ぶべき領域が終わり、その先は、半分湿地帯になっている。
蛇行する川なのか奇妙な形の湖なのか判別しにくいような水辺が、森と湿地帯をまたいでハコ山脈の方まで続いているのが見えた。
「コルビーナ、もう少し高度を下げて」
あたしはフラミンゴに指示をして、眼下に広がる暗緑色の景色を眺めた。
木々の一本が見分けられる程度でコルビーナを制止し、水平飛行に入らせる。
どうやって探そう、
無意識のうちに管制に指示をあおごうと思って、インカムのスイッチを入れていた。
がりがりがり、とノイズがひどく耳を突いた。
そういえば通信は使えないんだったっけ、と舌打ちするように思い出して首を振る。
音声を切ろうと思ったとき、ノイズの中へかすかに、聞き覚えのある音が混じった。
昨日の軍用信号だった。
「あ、ああ」
思わず声を上げる。頭にトオマワリの話が蘇った。
救難信号を追いかけていて、B・Bはムル喰いに出会った。
考えてみれば、ムル喰いが駆走器としての改造を受けているのなら、そのユニットから救難信号が出ていると考えるのも難しいことではなかった。
「…」
だとすると昨日、あたしはムル喰いの発信する信号を聞いて着陸したわけだ、と思うとすこし気が滅入った。
しかし、そんなことを考えていても仕方がない。
身体を出したまま、信号の近付く方へとコルビーナを滑らせる。
音を頼りに探すのは骨が折れそうな気がした。