途中、思い出してケーキ屋に寄った。
裏道を通って少し時間を稼ぎ、開店時間とほぼ同時に店に到着する。
何にしようかと悩んだが、結局クッキーにすることにした。
他の皆にも何かお土産を持って行きたかったし、ケーキでは発着場へ向かう道すがら、潰れてしまうような気がしたのだ。
クッキーならば潰れる心配はないし、皆で分けて食べることができる。
運良く焼き立てだったクッキーを、初夢さんの好きなバニラと自分の好きなチョコチップで、大きな袋に合わせて二袋買った。
鼻の大きい店主は制服姿のあたしを見て、少し不審そうな顔をした。
けれど、ついでに花屋の場所を尋ねると、勝手に見舞いだろうと納得してくれたようだった。
見舞い。
店から出てバイクにまたがりながら、ヒューヴのことを思った。
花屋の場所を尋ねたのはただのカモフラージュのつもりだったのだが、思い直して本当に買って行くことにした。
ヒューヴは何色が好きだっただろうか。
そんなことを考えながら花屋で見舞用の花束を買って、発着場ヘ急ぐ。

天気は上々、風も緩く流れていた。
今日の空はとても気持ちがいいだろうな、なんて夢想しているうちに市街地を抜けた。
牧草地の丘に挟まれた、広い割に舗装の行き届いていない穏やかな道を走りながら、初夢さんに会ったらなんと言おう、と考えていた。
バイクの後ろに括りつけた花束の包み紙やクッキーの袋が、はさはさと音を立てる。
そういえば飲み物を忘れた、と思いながら空を見上げる。
もう街からは随分外れていた。いまさら買いに戻るのは面倒だったし、どうせトオマワリがコーヒーをいれて待っているだろう。
顔を振って髪を払い、あたしはもう見えなくなった町の方を眺めた。

いつものとおり、職員用のガレージにバイクを止めてクラクションを二度鳴らす。
目を細め、あたしは建物を眺めた。建物は昨日と何一つ変わってはいない。
裏手から見る管制棟は、古びて、砂っぽくて、頑丈に見える。
初夢さんはもう、来ているのだろうか。
鼻を鳴らして鳥の匂いをかぎながら、あたしは服をぱたぱたさせた。
日当たりのよい道を走ってきたせいで軽く汗をかいていた。
まだ暖かいクッキーの紙袋を抱えて、建物へ入る。

心地よい涼しさの内階段を上って、三階の管制室の扉を開けた。
「ごめん、遅くなったよ」
声をかけるとオペレータ専用の椅子に座ったトオマワリがインカムを外してこっちを見た。
目で、少し待ってろ、と合図を送る。
しばらくかたかたとコンソールを叩き、何かに段落をつけて彼はこっちをむいた。
「よお、よく来たな」
鞄を置きながらあたしは、おはよう、と挨拶を返し、ソファーに座った。
「初夢さんは?」
「まだだ」
よく見ると、今日も彼はきれいに髭を剃っていた。
からかってやろうかと思ったが、それもあんまり意地悪いので止した。
「何時頃来るの?」
「うん、なんだかよく判らんが昼前までには着く、みたいなことは言ってたな」
時計を見ながら、彼はまた椅子を回す。
「何持ってきたんだ、それ」
「あ、クッキー。あと、ヒューヴにお花」
「変なところ、マメだな、おい」
コーヒーでも飲めよ、と顎でコーヒーメーカーを指す。
今日のコーヒーは煮詰まった色をしていなかった。素直に勧めに従う。

「調子はどうだ。昨日の今日で疲れてるんじゃないか?」
話題を変えるようにトオマワリが言った。
あたしはコーヒーを注ぎながら少し考え、割と平気、と返事をした。
ヒューヴのことを考えると気が重くなったが、あたしはそれほど大きな怪我をしているわけではない。
割と平気。
嘘にはならないはずだったが、口の中で繰り返すと、なんとなく違和感があった。
どうしてなのだろう、とぼんやり考えた。
「桑納先生も心配してたみたいだから、あとで顔出しておくといい」
「…うん」
窓の外に目を向け、あたしは真っ青な空を見た。
「ねえ、初夢さん、なんで急に帰ってくることになったの?」
「ああ、ああ」
トオマワリは椅子をそのままくるりと回してこっちを向く。
「鉄ペリカンの復旧の見通し、なんだか当分立たないんだと」
「ああ、そうか」
「で、たまたま姐さんのペリカンがルームオアシスに着いた時に足止めを喰らったとかで、復旧の見通しが立つまで特別休暇なんだと。すげえ偶然だよな」
「ルームオアシス駅」
繰り返して、その鉄ペリカンの停留所を思い浮かべる。
このあたりの街からは一番近い停留所だった。
そこで足止めを喰ったというと、もしかしたら母の乗って来たペリカンは、初夢さんのペリカンだったのかもしれない。
そんなことを思うとなんだか不思議だった。
あたしはトオマワリのカップを促す。
「おかわり、いるでしょ」
「ああ、頼むよ」
トオマワリは、ぐ、とカップの残りを飲み干した。
「でも本当、すごい、偶然だ」
「だろ。今回ばかりはちょっと神だとか、その辺の連中を信じてもいいような気になるよな」
「鉄ペリカン、ずっと止まったままならいいのにね」
何の気なしに呟いて、しまった、とあたしは口をつぐんだ。
トオマワリの顔が曇るのが判った。
「…そういうわけにもいかないだろ」
「ごめん」

初夢さんは名義上、このモッコク発着場のオーナーである。
戸籍上はトオマワリよりも十歳かそれ以上は年上で、もう今年で三十代後半、下手をすると四十代には突入する筈だった。
なぜ名義上だの戸籍上だのと勿体をつけた言い方をするのか、というのはひどく複雑な話になるし、本人を前にしないと誰も信じないのだが、とにかく今、初夢さんは普通の暮らしをしている人ではない。
鉄ペリカンの基幹部をしている人なのである。

鉄ペリカンというのは、ひどく複雑な存在だ。
ヒューヴやフラミンゴのように生物というわけでもなく、ホバーバイクやAGヴィークルのようにきちんとした機械、というわけでもない。
その中間の存在なのである。
すなわち、生体部品を使った、半機械。
ただ、別々に培養した生物の、パーツだけを寄せ集めて鉄と機械で繋げた鉄ペリカンは、それだけではただのグロテスクで巨大なオブジェでしかない。
鉄ペリカンには脳がない。鉄と肉だけでは鉄ペリカンは羽ばたかない。
必要なのは基幹部だ。
基幹部は、パイロットとは違う。
鉄を通じて肉に命令を与え、莫大な情報を処理して羽ばたかせる為の、部品だ。
そして、初夢さんはその基幹部をしている人なのである。
人の脳を、巨大な鉄ペリカンの脳に見立てて運用し、それによって鉄ペリカンは空を飛ぶ。

どうして初夢さんが鉄ペリカンの基幹部をするようになったのか、詳しい事情は知らないけれど、基幹部を始めて二十年あまりが過ぎたと聞く。
もう、随分長い話だ。

うっかり遠い気持ちになってしまい、あたしは息をついた。
ふう、と声に出すようにして、気持ちを切り替える。
「あたしちょっと、ヒューヴのところ見に行ってくるよ」
ちらりと時計を見てトオマワリは頷く。
「ついでに昨日の軍人にも会って来るといい」
「…や、なんていうか、それは、いいよ」
「どうして」
「べつに、話すこととか、ないし」
あたしは口篭もる。
半分は本当で半分は本当ではなかった。
昨日桑納さんは、人助けをしたのだから胸を張れ、と言ってくれたが、なかなかそういう気持ちにはなれなかった。
あれからゆっくり考える暇がなかったので当然といえば当然だったが、今ひとつ、気持ちに整理がついていなかった。
どちらにせよ、トオマワリはあまり深く追求せずに肩をすくめる。
「まあ、どっちにしろ、姐さんが来る頃には戻って来いよ」
「そうする」
あたしは返事をして、花束と鞄を持った。
「クッキー、勝手に食べちゃいやだよ」
念のために釘をさしておくとトオマワリは心外そうな顔をした。
「お前なあ、俺はそんなに卑しくないぞ。それに、なんだ、鞄くらい置いてけばいいだろ」
「や、まあ」
「なんだよ」
「ほっとけ」
短く言い残して部屋を出る。


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