セツブンソウ キンポウゲ科セツブンソウ属 |
町花 総領町天然記念物指定(1987年12月) |
20070212
2月12日(月),14:00,庄原で節分草が咲いているという情報をたよりに,庄原へ向かった。しかし,ポイントになる情報を聞いていなかったので,どこかで情報を仕入れようと総領の「道の駅」で聞いてみた。すると「この裏に節分草の自生地がありますよ」とのことだった。
道の駅で売られているふきのとうと造花の節分草
道の駅で売られている焼き物のおひなさま
道の駅裏の自生地にある開きかけた節分草
道の駅裏の栽培地にある福寿草のつぼみ 節分草の自生地説明板
近くの神社の境内一面にある満開の節分草
この神社の境内一面に満開の節分草があった 2月17日から節分草祭が行われる
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070217
「節分草」という言葉を釣り仲間から聞いたのが2月11日であった。魚は釣れない,マイボートは故障する,釣友には迷惑をかける,と最悪の釣りだった。その日,釣友は故障した船でマリーナに戻ってきた後,庄原へ節分草の写真を撮りに出かけていた。自分は田島・芦田川で釣りを続けた。その日の16:40頃,写真を撮りに出かけた釣友から連絡が入った。「節分草の写真を撮ってきた。そちらは釣れてるか。」という内容だった。その「節分草」という言葉の響きに妙に懐かしさと引きつけられる何かを感じた。そこで,次の日(2月12日)このページの前半にあるように,さっそく出かけてみたのだった。
今日(2月17日)も,「節分草」が気になりネットで検索をしてみた。「節分草」に惹かれる原因がやっとわかった。上の節分草の説明文に出てくる「・・・上下自然愛好会の荒木克氏等により・・・」という部分で記憶がよみがえった。荒木克は自分の伯父(母の兄)である。自分が小学生の頃,盆・正月に母親について上下町階見の母の実家に行くと,伯父はよく植物にまつわる話をしてくれた。その頃,「節分草」の話を聞いたかどうか覚えてはいない。今から十数年前の日曜日の朝,伯父は「自分が書いた本だ」と言って一冊の本を我が家に持ってきた。その時,伯父の本「追憶の花々」を読んで「節分草」が自分の脳裏に残っていたのだろう。2月11日,釣友から「セツブンソウ」と聞いて懐かしい響きを感じたのはそのためだろう。その頃自分は海釣りに熱中していた。ちょうど,前日夜釣りで釣ってきたメバルを朝,さばいているところだった。伯父は「わしは山が好きで休みになると山歩きばかりしとるが,お前はわしが山へ行くのと同じように,よう海に行っとるんじゃのう」と言ったのをよく覚えている。伯父は現在82歳,病院通いをしながらも健在である。
1986年10月14日の中国新聞に「追憶の花々」に関する記事を見つけた。
『・・・教師時代から暇を見つけては山歩きをし,郡内で希少植物の「オウダイドウヒレン」を発見したり,県内では珍しいセツブンソウ,カタクリ,サクラソウの群落を見つけるなど植物学や自然保護に業績をあげている。・・・』とあった。今後,これらの植物にもぜひお目にかかってみたいものだ。