今のこの状況は、すごく奇妙だった。 さっきから何をするでなく、黙ったままお互いそこにいる、この関係が・・・だ。 俺から少し離れたその先に、ヤツがいる。 この微妙に離れた二人の距離感が、俺とヤツの関係を如実に表していると思う。 俺は密かに溜息をつくと、視線だけを動かして斜め前に居る、この部屋の主─── カナタを伺った。 カタナの奴は、俺なんか最初から居ないように、この部屋の唯一の飾り物である 長ソファに寝転がっている。 こちらを見ようともしないカタナからは、早く帰れ・・・と云う無言の声が聞こえるのは、 気のせいじゃないだろう。 少し前までこの部屋に居た小百合ちゃんは、俺がここに顔を出すと同時に、 「たまには子猫ちゃん達のお母さんに、逢わせてあげなくちゃね」と言い置いて、 おねぇちゃん───篠塚のことだ───の家に行くと出かけてしまった。 小百合ちゃんがいれば、もう少しのこの部屋の居心地も良いものになっただろうに、 なんだって、コイツと二人きりになっちまうんだ? しかも小百合ちゃんは出かけ際に、俺にこっそり耳打ちすると、 「カタナは本当はとっても寂しがりなの。だから一人にしないでね」と、 暗に (私が帰って来るまで帰らないでね!) と、念を押していったのだ。 なので俺は、どんなに居心地が悪くても、出て行けとカタナに無言でほのめかされても、 ここから動く訳にはいかなくなった。 (ハァ────・・・) 俺は、再び心の中で溜息をついた。 そもそも、どうして俺は、今日ここに来たんだろう? 蜂須賀さんの仕事も珍しくないオフの日に、なんでわざわざカナタの処なんかに───・・・ 自分で分かってる答えは一つ。 気になるから・・・・だ。 そう────あの日からずっと、カタナニ言われた言葉が、頭から耳から離れなくて。 それが心に引っかかって・・・・・ここに足を向けずにはいられなかったのかもしれない。 ────── オレト オマエハ オナジダヨ ───── 瞬間、身体を走り抜けた言い知れぬ恐怖に、俺はブルルッと身体を震わした。 違う! 絶対に違う! そう・・・・・思う。 それはきっと、間違ってないはずだ。 でも、それを言葉にすることは出来なくて。 それが俺を不安にさせる。 だから・・・・・・・・かもしれない。 今日、俺がここに来たのは。 俺は確かめたいんだ・・・・・同じガドを持つカタナが、本当は悪い奴じゃないと。 心に巣食う闇を、追い払うことが出来る強さを持っていると信じたい────・・・ 俺はカタナを・・・・・どうしたいんだ? 思わずグッと力を込めた拳に、俺の気配の変化に気付いたのか、ふいにカタナが身じろいだ。 瞬間、ハッッとしたようにカタナを見た俺に、カタナは横になっていた身体を起こして ソファにどっかりと座り直すと、俺をチラリと横目で見据え、 「────まだ居たのか」 フン、と鼻息まで聞こえそうな声音でそう呟いた。 「な、なんだよっ、別に帰れなんて言わなかっただろ?!」 「──じゃあ、帰れ」 カチン! カタナの、にべもない言葉に瞬時にして腹が立つ。 何故か悔しくて、俺はムキになると 「残念でした! お前を一人にしないと小百合ちゃんと約束したんでね。 少なくとも、小百合ちゃんが帰ってくるまで、俺は帰らないからな!」 「・・・・・・チッ。」 何故かカタナは小百合ちゃんには弱いのか───彼女の名前を出したとたん、 カタナは、その剣呑な瞳を少し和らげた。 しかも、不承不承といった感じではあったが、俺を追い出すことは諦めたようだ。 そんなカタナを見たのは初めてで───いつも奴の瞳の奥にある暗いものが消えたように 思えて───少し嬉しくなった俺は、調子に乗って今まで重かった口を開いた。 「それに・・・・それに俺は、お前が悪いことをしないように見張るつもりだからな! オマエを一人にしないってのには、そーゆー理由もあるんだぜ?」 「・・・・・馬鹿馬鹿しい」 「なっ・・・! 俺は本気だぞっっ、絶対、邪魔してやるからなっっ!」 「フン。お前が俺の邪魔をするなら、殺すまで、だ」 「くッ・・・!」 瞬時に、さっきとはまるで別の闇の淵のように冷たい───殺気のこもった視線で射ぬかれ、 俺の背中に冷たい汗が流れる。 それでも、そんな自分をカタナに悟られたくなくて、俺は精一杯、虚勢をはると、 「ハンッ! こっちも簡単に殺されるつもりはないけどな!」 胸を張り、引きつる笑顔でそう云った俺に、何が可笑しかったのか・・・・カタナは そんな俺を見て、フッと唇の端を上げた。 「でなきゃ、つまらん」 そう云ったカタナのシニカルな笑みは、心底楽しげで────俺は一瞬、カナタの その笑みに見惚れた。 見惚れて言葉をなくした俺に、カタナは珍しく言葉を続けると、 まるでワザと意地悪く、俺を突き落とすように、 「フ・・・。やっぱりオマエは、オレと一緒だよ、ハジキ。」 「───!」 瞬間、息を飲んだ俺に、オレが動揺するのが可笑しいのか、カナタは唇だけで笑う。 それがまた悔しくて・・・・・俺は、キッッとカタナを睨みつけると、 「くそっ・・・。 ったく、どうしてアンタは、いつもそういう言い方するかなぁ」 俺が動揺し、傷つく言葉をワザと選んで。 「事実だろ? ガドの力を自分に都合良く利用するオマエとオレ───・・・・ どこか違うっていうんだ?」 そうして、俺を追い詰める。 だから俺も、ついムキになるのだ。 怯む気持ちを悟られたくないから。 ちゃちなプライドかもしれないが、弱い気持ちをカタナに知られるのは嫌なのだ。 「そうじゃない! そうじゃないから・・・だから俺は今日、ここに来たんだっっ! 俺は・・・・オレはっ───!」 「ハッッ、くだらねェな」 俺の言葉は、最後まで口にする前にカタナによって遮られる。 「くだらないよ・・・・本当に」 少し自嘲気味に───呟くように囁かれた言葉。 それは何に対しての言葉だったのだろう? ちゃちなプライドに見栄をはって強がっている俺か? 甘っちょろい夢を見て、信じるなどと簡単に口にする俺か? それとも─────・・・ 「────アンタ、さぁ」 俺は、張り詰めていた気持ちを吐息にして吐き出すと、両腕を頭の後ろに組んで カタナを真正面から見つめた。 「どうして俺に、そんなこと言うわけ?」 「・・・・・・・・・」 「そんなに俺に、アンタの居場所とやらに来て欲しいの?」 「──?!」 「アンタ、さぁ。 一人でそこに居るの・・・・・・淋しいわけ?」 「!」 「だから俺にあんなこと云って挑発するわけ? 俺が、アンタの処まで落ちるように・・・」 「黙れっっ!!」 ふいに、俺の目の前の空気が動いた。 動いた、と思った瞬間、俺はカタナによって壁際まで追い詰められ、 目の前に立塞がったカタナの骨ばった片手で、首を締められていた。 「グハッ・・・ッッ!」 「────黙れ、小僧」 「い・・・・嫌だっっ!」 「──チッツ」 忌々しそうな舌打ちの音と同時に、俺の首にかかる力がグッと強くなる。 それでも俺は苦しい息の下で、気丈にカタナを睨みつけた。 ここで視線をそらしたら、心でコイツに負けてしまうと思ったからだ。 そして俺は、喉の奥に力を込めると、 「だったら───だったら、オマエが俺のところまで来ればいいんだっっ」 吐き出すようにもれた言葉に、ふいに・・・少しだけ、首に掛かったカタナの手の力が緩む。 相変わらず俺の首はまだ、カタナの手の中に人質状態ではあったが。 「オマエ・・・・何を言っている?」 「・・・・・・俺が落ちるんじゃない。オマエが俺のところまで上がるんだ! お、俺はっっ! オレは───信じてる」 カタナ───オマエを。 最後の一言は、かろうじて口にはしなかったけれど。 それでもカタナは、俺の言いたいことを察したのだろう。 何処か面白そうなものを見るように俺をねめつけると、 「・・・ずいぶんと偉そうなことを言うな」 「へっ・・・まぁ、自信があるからな」 「自信だと・・・?」 「ああ。アンタが俺と同じだってんなら・・・きっと出来るはずだろ?」 そう言って、俺はまっすぐにカナタを視つめた。 俺が言いたいことの意味を敏感に悟ったのか・・・カタナは、ふいに俺から逃れるように 視線を逸らすと、 「────馬鹿馬鹿しい・・・・・話にもならないな」 それは、これ以上、俺と関わるのは御免だ・・・と云う、カタナの気持ちの表れだったのかもしれない。 だけど俺は、それを許さなかった。 いや・・・認めなかった、と云ったほうがいいかもしれない。 「そうやってまた───逃げんのかよ?」 逃げる、という言葉に、ピクリとカタナが反応する。 同時に、俺の首にかかっていたカタナの手に、再び力が加わった。 「───黙れ、と言ったハズだ」 「嫌だね」 「おまえ・・・・・・それ以上口を利いたら、マジで殺すぞ」 俺が嫌だと云うのと同時に、外されていたカタナの燃えるような暗い瞳が、再び俺に向けられた。 ガッチリと視線がぶつかって、俺はそれを真正面から捕らえる。 「───やってみろよ、カタナ。さっきも言ったけど、俺は簡単には、殺されないからなっっ!」 開き直ったように、そうわめいた俺に、カタナは諦めたのか、呆れたのか・・・忌々しそうに 俺の耳元に呟いた。 「・・・・・・・ガキめ」 「そうだよ。俺はガキだから、聞き分けが悪いんだっっ! だから、何度でも言うぞっっ。 俺はオマエを────・・・・・」 信じる────・・・・・・とは、最後まで言えなかった。 否。言えなかった。 「・・・・・・ッ?!」 気が付くと、首に掛かっていたカタナの手は外されていた。 一瞬、何が起こったのか分からなくて、自由になった右手を確かめるように口元へと持っていく。 震える指先が触れたのは、かすかな・・・自分のものではない温もり。 今、俺はカタナに───男のカタナにキスされたのだ。 信じられない・・・と云うより、自分の身に何が起こったのか分からない・・・というような、 呆然としたままの俺の様子が可笑しかったのか・・・カタナは唇をゆがめて笑うと、 「フン・・・オマエを黙らせるのは、殺すまでもないって事だ。」 「───! テ、テメェ、カタナッッ!! と、突然、何を・・・っ!」 カタナがそう云った瞬間、俺はやっと我に返ると、猛然とカタナに喰ってかかった。 カタナが俺にした事を思えば、この俺の反応の遅さは、かなり間抜けなのだが。 だって仕方ないだろう?! こんなことをされるなんて想像もしてなかったんだから。 しかも、俺は女の子とだって、キスしたことなどないのだ。 俺の驚きと衝撃を察して欲しい。 だが、そんな俺の抗議も、次のカタナの一言で簡単にあしらわれてしまう。 「黙れ、と云ったハズだ。───それとも、またして欲しいのか?」 「なっ・・・・!!」 狼狽したままの俺を見て、馬鹿したようにカタナは、意味ありげにそんな事を言う。 これで口を噤んだら、本当にカタナの思うがままだ。 俺は、思いがけない羞恥と───行き場のない気持ちでいっぱいになって とうとう切れた。 いわゆる開き直り、というヤツだ。 「ク、クッソォォォォ。 オレは───俺は黙らねぇぞっっ! 大体、こんな───たかがキスくらいで ガタガタ云うかってんだっっ! こんな事くらいで、俺がビビるかと思ったら大間違ぃ────」 再び、その先の言葉を続けることが出来なくなった。 またカタナの唇が、俺の唇を塞いだからだ。 「────?!」 しかも、今度のキスは先ほどの、触れるだけのキスとは比べ物にならなかった。 強張って閉じたままの俺の唇を割り、カタナの舌が無遠慮に俺の口中へと入ってくる。 歯列をなぞり、ねっとりと絡みとるように俺の舌を吸いあげる、まるで俺の全てを奪い取るような 激しいキスだった。 「ッ────ハアッ・・・・・」 そうして、カタナに自由を奪われたまま、どれくらいが経ったのだろう。 凄く長かったような・・・・でも一瞬だったような不思議な感覚が残る。 何故か名残惜しげに離れていくカタナの唇の感触に、瞬間、俺の顔は真っ赤になった。 真っ赤になって・・・・・案の定言葉をなくしたままの俺に、相変わらずカタナは 留めを刺すことを忘れない。 「黙れ、と言ったハズだろう? でなければ帰れ。それとも、もっと先をお望みか? なら、俺も考えてやるが?」 「〜〜〜〜〜ンな・・・んな、ワケ、ねーだろっっ!! てめぇ、カタナァ〜〜ァァ。 くそっ、覚えてろよっ?! 俺はぜってー帰らねぇし、ぜってー引かねぇからなっっ! オマエが止めろと言ったって、ずぅっーと纏わり続けてやるっっ!!」 真っ赤な顔のまま、ハァハァと息せき切ってそう云った俺に、次の瞬間、カタナは、 くっ、と唇を歪ませると、突然背中を丸めて笑いだした。 「クッ・・・・ククク・・・ アハハハハ・・・・・・・ッッ」 「えっ・・? な、なんだ、なんだ?!」 突然のカタナのこの反応が理解出来なくて戸惑う俺に、カタナは尚もひとしきり 笑い続ける。 それからカタナは笑いながらの怪しい足取りで俺から離れると、長ソファに、どすんっっと座り込んだ。 そうして、まだ密かに笑いを噛み殺しながら・・・・呆然と立ち尽くす俺を見つめて言った。 「オマエ───馬鹿だな。」 「なっ・・・・なんだとぉぉ!?」 言うにことかき、馬鹿とはなんだ、馬鹿、とはっっ!! 大体、この挙動不信な・・・・何を考えてるのか判らないカタナに言われたくはない。 だがカタナは、相変わらず何処か楽しそうに口元で笑いながら、独り言のように続けた。 「どうやら俺の人生も、少し・・・面白くなりそうだ」 「ハァァァ?」 カタナが何を言っているのか判らない・・・・・突然すぎるこのカタナの態度は、 俺を困惑させるばかりだ。 それでも、さっきまでの意地悪な暗い色をたたえたカタナよりは、ずっとマシで。 俺はカタナの豹変ぶりに、キスの怒りも忘れ、困ったようにそこに立ち尽くしかない。 そして、カタナの笑いが引っ込むと────後には奇妙な沈黙が、二人の間を流れた。 どうしたもんか・・・・・俺が悩むその先で、カタナは最初の時と同じように・・・・俺のことなど まるで無視して長ソファへと横になる。 でも・・・・カタナの気配は最初の時と違い、ほんの少し・・・・何かが近づいたような 気がするのは、やっぱり俺の甘っちょろい考えなのだろうか・・・? 「なぁ、カタナ───・・・・」 奇妙な沈黙に耐えかねて・・・またキスされるかもしれないと半分ビビリながら・・・ 俺は思い切って、カタナに声を掛けた。 その時だった。 まさに絶妙のタイミングで・・・・・入り口のドアから明るい声が部屋中へと響き渡る。 「ただいまぁぁぁ」 現れたのは、子猫達を引き連れた小百合ちゃんだった。 「え? あ・・・小百合ちゃん?!」 「うん。ただいまぁ。」 「ど、どうしたんだ、小百合ちゃん。 ずいぶん、早く帰って来たんだな。何かあったのか?」 「ううん、何もないよ。 ただ今日は、おねーちゃん、お仕事で忙しいんだって。それに、 ネコちゃん達のお母さんも何処かに出かけてて居なかったから・・・今日は、早く帰って 来ちゃったの。」 「そっか・・・。残念だったね」 「ううん。また何時でも行けるもん。 それより、今日はありがとうね。 今までちゃんと ここに居てくれて」 「ん・・・・まぁ、約束したからな」 「うんっっ、ありがとうね。カタナもとっても楽しかったみたい。だってカタナ、嬉しそうだもん」 「えっ・・・・?」 思わず、カタナを振り返る。 カタナの横顔は相変わらず無表情で、俺には感情は読み取れない。 「本当に・・・・そうかな?」 「うん、間違いないよ。私が帰ってきた時、カナタの口元、楽しそうに笑ってたもん!」 「そっか・・・」 「・・・・? どうかしたの・・・?」 「ン───いいや、別に。」 「???」 不思議そうな顔をして俺を見上げる小百合ちゃんに、俺は笑顔を向けると、 「んじゃ、小百合ちゃんも帰ってきた事だし───今日はオレ、帰るワ」 「えっ、もう? まだ居ればいいのに」 「また、すぐ来るよ、小百合ちゃん」 俺は安心させるように小百合ちゃんの頭を撫でながらそう言うと、さっきから後ろの長ソファで 寝たふりを続けているカタナに視線をむけた。 そして俺は、お前の脅しになんて屈しねぇぞ、どばかり、カタナに宣戦布告をするように 声を張り上げると、 「つーワケだからなっ、カタナッッ!」 「・・・・・・・・・・・」 「俺は、オマエを見張りに、時間のある限りココに来るからなっっ! そして、殺されない程度に、 邪魔するつもりだからっっ。 覚悟しとけよ、カタナ!」 そう云った俺に、カタナは閉じていた瞼を開くと、俺に視線を合わせ・・・ただニヤリ、とその唇の端を 楽しそうに上げた。 俺も、それに応えるように不適に笑ってみせた。 そうして俺は、昼間でもほの暗いカタナの部屋から外へと飛び出すと、横付けしておいた スクーターに勢いよく飛び乗る。 なんだか・・・・俺がカタナに出来ることが、少し分かった気がする。 今は、それだけでよしとしよう。 そう───ここから始めればいいのだ。 そして、いつか・・・カタナの瞳の暗闇を消せるように。 ────信じてみよう。 自分とカタナを。 まずは、そこから。 「ヨッシャァァァ! ぜってぇー、負けねェェぞっっ!!」 俺は誰ともなくそう呟くと、勢いよくスクーターを発進させた。 風の音が響く耳の後ろで・・・微かにカタナノ笑う声が聞こえたような気がした。 2003.09.05 up |