ドリーと三十六計

クララがドリーのところに戻る前に、彼は体を跳ね起こしていた。
起きたドリーが咄嗟に焚き火に砂をかけ、辺りを暗闇に包む。
「クララ!」
ドリーの声が暗闇になった砂漠に響く。
返事をすると、彼は声のした方向にクララの<仇なす光>を投げて寄越した。
慌てて受け取って、クララは荷物とドリーのそばに寄る。
「もう荷物は気にするな、こうなったら生きることだけを考えろ、間抜け」
ドリーが叩くような声をあげ、彼女の腕を掴んだ。

ぐい、と離れたところに繋いである翼竜の方へ引っ張られてゆく。
夜目が利かないわけではないけれども、そのあまりの早足に足がもつれる。
「五人、もしくは六人いるね」
すぐ脇の闇が声を出した。
ぎょっとして目を凝らすと、そこにはノイアがいた。
ドリーは帽子を被り直しながら、短く舌打ちをする。
「どうだ、いけそうか」
「戦闘は無理だと思う。…どうするの?」
「逃げるしかないだろう」

こめかみに手を当てて、ドリーは鍵を取り出してノイアに渡した。
「な」
「持ってろ、あのワイバーンを制御する鍵だ」
「…」
ちら、とオークが現われた方向を睨み、ドリーがノイアの方を向きなおす。
「ありゃあオークの盗賊団じゃねえな。あのオークに気をひきつけてる間に別働隊が回り込んでやがる」
「…別働隊は?」
「ちらりと見えた。アトランティスだ」
「…」
「ヴィスコから気をつけろとは言われていたが、まさかこっちまで手が回ってるとはな、糞」

「アトランティスの連中の狙いは、こいつだ」
不意にドリーが顎でクララを指した。ノイアが黙る。
「ヴィスコめ、見境無く喧嘩売りやがるから、こっちまでとばっちりが来やがる」
「わたし」
クララを遮って、ドリーは首を振った。
「クララ、お前は俺について来い、で、ノイア」
「何」
「ワイバーンを連れて、すこしかき回してくれるか。少しでいい」
「了解、でも、ヤバくなったら逃げるよ」
「構わん。無理して全員死ぬより千倍ましだ」
「…四対六…。三人は引き受けるよ」
「ありがたい。生きていたらセレドアで合流しよう」
小さく腕をあげたドリーに、ノイアが自分の腕を軽くぶつけた。
「幸運を」

ノイアはちらりとクララのほうを見た。
「クララ、生き延びるんだよ」
それだけ言い残してノイアが再び闇に消えてゆく。あまりにも簡単で、呆気ない挨拶だった。
彼女がいなくなって初めてドリーはクララの襟を掴んだ。
「俺は馬鹿な小娘が嫌いで、機械人形も好きじゃない。だが、お前に対しては責任がある。ヴィスコに約束したからな」
「…」
「どうにかして送り届けてやるから、俺についてこい」
「……」
ドリーはクララを離して腰をかがめ、白んでくる東の空を睨んだ。

「…ドリー」
クララが尋ねようとすると、ドリーは彼女に背中を向けたまま返事をした。
「なんだ、手短に言え」
「…どうしてわたしが、そんな、狙われなきゃならないの」
ドリーがため息をつく。振り返った彼の目は、少し怒っているように見えた。
「本当に何も聞かされていないんだな」
「何も、って」
「お前の姉妹が各地で暴れまわってるんだよ。お前と同じ、ヴィスコヴィッツの娘たちだ」
「そんな」
「余計な詮索は後でしろ」
「…」
「お前が、戦場の女王にふさわしい女かどうかは知らん。俺と合流する前に何人人を殺したかも知らん。どうせまだ満足に動物だって殺したことがないんだろう」
「わたしは」
「だが、そんなことは関係がないんだよ」
ドリーは低い声で遮った。
「仮にお前がお前の言うとおり、犬相手にだってびびっちまうような弱虫の小娘だったとしても、相手はそう見ちゃくれねえんだ。わかるか。お前はもう、バトル・クイーンなんだ」
「…」
「もうお前の言葉は連中に通じねえんだ。そうなっちまったんだよ」
「わたしは…」
クララの目に涙がたまった。反射のようにドリーが彼女の横っ面を張った。ぴしゃん、と派手な音がした。
ドリーは自分の行動に愕然としたように、彼女の顔と、自分の手を見比べた。
そして彼は、まるで自分が叩かれたかのように顔を背けた。
「泣くのは後にしろ」
硬い声だった。
心の中からクララのことも、自分のことさえも追い出そうとしているような声だった。

彼女に背中を向け、ドリーが愛用の杖を額に当てた。
「…いいから、今は生きるんだ」
苦々しい声だった。
しばらくしてドリーが杖を額から離した。

そして、夜明けが始まった。

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