間幕

アレクセイ・ボーダーの除隊はまだ遠い。

アレクセイ・ボーダーにはささやかな夢があった。
除隊したら、山の上に住もう。それが除隊の年齢を迎えた彼の望みだった。
ラアラ女爵に忠誠を誓って以来、人生のほとんどを海で過ごした彼の、ささやかな願いだった。

彼が除隊の資格を得てから、もうずいぶん経つ。
まだ、戦場に立てなくなったわけではないが、ラアラ女爵がヴァンパイアへの転化を迎えた今、これはいい契機だと考えるべきだった。
彼は長年忠誠を誓い、忠義を果たしてきたラアラ女爵の前にひざまずいて今、ねぎらいの言葉を待っていた。
やがて彼女の唇が、動いた。

「アレクセイ・ボーダーよ。汝には最近巷を騒がせている、バトルクイーンの討伐隊の隊長を命ずる」

広間にラアラ女爵の声が響き渡るのを、鋼鉄のアレクセイは頭を低くして聞いた。
…そうか。次の任務はバトルクイーン討伐か。
「戦場の女王」の噂は、決して今に始まったことではない。
暴力と混沌渦巻く戦場に現われ、まるで疫病のように死を振りまく機械仕掛けの乙女。
その名前は、南方でも何度か耳にしたことがある。
バトル・クイーン。果たして、老いた彼の体で死の乙女を狩ることができるだろうか。

一瞬、何の違和感もなく受け入れてしまってから彼はばさりと顔を上げた。

それを見咎め、居並ぶ騎士達の中でもひときわ厳格なテムズが眉を上げて彼を叱りつけた。
「アレクセイ・ボーダー、ラアラ様の前で失礼である!」
アレクセイはテムズの顔を睨みつけ、ついで彼の主君の顔を再び睨み上げた。
「しかし、女爵、わたしは今日」
「存じておる。しかし除隊は認めぬ」
「ですが、わたしには、もう」
「仔細は蜘蛛に尋ねよ」
「女爵!」
「下がるがよい」
無慈悲なラアラ女爵の宣告が下り、アレクセイの両腕を忠実なる彼女の騎士が二人がかりでがっちりと掴んだ。
ラアラ女爵は目を細めて唇を舐めた。
「私は、戦士としてのおまえが好きだ。おまえはいつまでも私のもので、私はおまえを手放そうとは思わん」
「…」
「次の者!」
引きずられてゆく彼が最後に見たものは、ラアラ女爵の猫のように細まった瞳だった。
つい最近ヴァンパイアに転化した女爵の瞳は濡れたように赤く、まるで彼を誘惑するように光っていた。
欲深い、けものの目だ、とアレクセイは思った。

広間の外まで引きずられ、どさりと投げ出されるように彼は若い騎士たちの手から解放された。
荒く息をつき、彼は両手を地面について騎士達を見上げた。
見下ろす騎士達の目は、酷薄と言ってもいいほどの無表情だ。
彼のように老いた戦士を軽蔑しているのだろう。それは無慈悲で、動物を見るような視線だった。
アレクセイは膝をついたまま、二人に尋ねた。
「貴君らは、<あの女爵>に忠誠を誓ったのか?」
「老戦士、我々はできる限り年長者であるあなたに敬意を払いたいとは思います」
「…」
「ですが、騎士にとって、己の主君に疑念を抱くことが誉められた行為であるとは思えませんね」
「…わたしは戦士であって騎士ではないよ」
「あなたは特例だ、と聞いておりますが」
「それはラアラ女爵が生きておられた頃の話だ」
アレクセイの皮肉に、すう、と赤毛の騎士の目が細まった。ひどく剣呑な目だった。
それは、嫉妬に近い感情なのかもしれない。彼は<今のラアラ女爵>の信奉者のようだった。
少々荒々しい展開になることを覚悟しなければならないかもしれない。
アレクセイの体を流れる戦士の血が、暴力の予感に震え始める。

「…やあアレックス、災難だったな」
「ジンガー!」
騎士との険悪な空気を割るように、ジンガーが入ってきた。
彼はアレクセイのかつての戦友であり、今はメイガスの地位までもう少しと噂されている人物だ。
若い騎士達が姿勢を正した様子から、彼の宮廷での発言権が窺えるというものだった。
騎士たちは突然の彼の登場に気を削がれて黙り、追い払われるように広間へと戻っていった。
去ってゆく騎士達の後ろ姿を見つめ、アレクセイはため息をついた。
ほんの数分の会見だというのに、彼は疲弊しきっていた。

「…すまんが、手を貸してくれるか」
アレクセイは旧友に手を差し出した。ジンガーは微笑んで彼の手を掴む。
息を吐いてから立ち上がり、アレクセイは騎士たちに掴まれていた肩を揉んだ。
「老いたよ、おれも」
「…みんなそうさ」
アレクセイは、ふ、と笑って首を振った。
「あの女吸血鬼は、まだおれを手放してはくれんそうだ」
「欲深いことだな」
ジンガーは呟き、寒そうに肩をすくめてから十字を切った。

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