森山を乗せ、なるべくフェンス際の、管制棟からあまり見えないようなコースを辿って、あたしは格納庫までリフトバギーを走らせた。
一度森山を連れてゆく、と決めたからには迷うことはなかったけれど、勝手にフラミンゴを拝借することにはやっぱり抵抗があった。
ヒューヴが動けない今、他に選択肢はなかったが、やはりそれが正しいことだとは思えなかった。
管制棟を振り返り、何故か、ふと母の顔を思い出した。
今まで色々と、不可抗力を装ってうやむやにしてきたことを思い出した。
「…いや、いや」
あたしは呟いて首を振る。
もう事後承諾で色々なものをうやむやにするのは止めよう、と思った。
学校でも、家庭でも、無論、発着場でも、だ。
やはり、初夢さんにだけは相談することにすることにした。

格納庫の中へバギーを乗り入れ、あたしは後ろに髪をまとめた。
格納庫から引かれた内線で管制を呼び出すと、しばらくのコールの後に初夢さんの、もしもし、という声が聞こえた。
「…あの、しなりです」
「あれ?しなり、トイレ行ったんじゃなかったの?」
「いや、まあ、あの」
「何よ」
「ちょっと、お願いがあるの」
なんと言うべきか迷ったが、どう誤魔化しても仕方のない話だったのであたしは自分が格納庫にいること、森山が言ったこと、あたしが彼を手伝ってあげようと思うことを、なるべく順番どおりに伝えた。
何がどうなってそう思うのか、自分の気持ちを筋道立てて伝えるのはとても苦手で、うまく伝えられたとは思わなかったが、初夢さんは聞いてくれた。
しばらく黙って、初夢さんは言った。
「しなりがそう思うなら、いいと思うよ」
「初夢さん」
「しげるには、わたしが何とか言って聞かせよう」
初夢さんは、そこで少し声の調子を変えた。
「その代わり、自分のしたこと、することには責任を持ちなさい」
「…うん」
「あとで泣いたり、泣かれたりするの、いやだよ」
「判った」
まるで初夢さんは大人みたいだ、と思った。
そしてあたしは、絶対に何があっても泣いたり泣かれたりするのは止めよう、と思った。
少し森山と話したい、という初夢さんの希望通り、森山を内線口に出す。
あたしはフラミンゴを誘導する為、ケージに向かった。

ケージの鍵を開きながら、あたしは初夢さんと話している森山の姿を眺めた。
これからする仕事を思うと、昨日のムル喰いの悪夢のような、しゅふうう、という嫌な息遣いが蘇るし、ヒューヴがまだ目を覚まさないのにあたしだけが空に戻っていいのか、という疑問も頭には残っていた。
全てを納得して動いているわけではない。
迷ったり迷わなかったり、腹を立てたり許したり。
まったく世界はシンプルではない、とぼんやり思った。

先に森山には、フラミンゴの荷台へ入ってもらうことにした。
フラミンゴのユニットは、ヒューヴのそれよりも少し旧型だった。
人の乗る背中のスペースは基本的に一人分だけで、残りは荷台になっている。
荷台と言っても飛行器だ。カゴを乗せるだけ、という訳にも行かない。
一応人間も収納できる形になってはいるが、快適と言うには遠い。
鍵をすれば蓋は内側からは開かないようになっている。
「初夢さんと何を話したの」
ユニットの上から森山に手を貸し、引っ張り上げながらあたしは尋ねた。
うん、と彼はストラップに手をかけてのぼる。
フラミンゴの横腹に立てかけた松葉杖が倒れてからん、と音を立てた。
「秘密だ」
「なに、よ」
「秘密だ、ということを話した」
からかっているのかと思ったが、顔を見ると別にそうでもない。
何かを考えているような顔だった。
あたしは肩をすくめてそれ以上聞くのを止めた。
代わりに前部ハッチの留め具を何度か開け閉めして確かめる。
昨日のような目に遭うのは絶対に御免だった。
かなり執拗にハッチを開け閉めするあたしを、森山は不思議そうに眺めた。

発着路は、いまだ午後の光が強い。
通学鞄を管制室に置いてきてしまったお陰で、ゴーグルがなかった。
だからあまり空高いところでは顔を出すわけに行かない。
なるべく強すぎる気流には乗らないようにしよう、とあたしは考えた。
ユニットはずいぶん旧型だったが、ナビの方はヒューヴに乗せているものよりひとつだけ型落ちしているだけだ。
使い方はそれほど難しくもない。
計器を確認して、いつも通り、ユニットから半分身体を出してあたしは目を細めた。
「さあ、行くか」
気乗りのする掛け声ではなかったが、とにかくあたしは呟いてフラミンゴの首を撫でようとした。
しかし、ユニットの違いか、鳥の体型の違いからか、手が届かない。
少し無理して身体を伸ばし、その首に触れる。
「おまえ、名前はなんていうの?」
あたしはふかふかした羽毛を撫でながら尋ねた。
フラミンゴの長い首が、ぐるりと回ってこっちを見る。
ユニットの前部に筆記体で綴りが見えた。コルビーナ、と読めた。
何語だろう。考えたが判る筈もない。読めるだけだ。名前の響きから、勝手にあたしはコルビーナを女の子だと決めた。
「コルビーナ」
あたしは彼女の名前を呼んだ。
「さあ、行こう」
とん、とん、と飛び跳ねるような、独特の歩きかたでフラミンゴは発着路へと出る。
ちくりとヒューヴのことが心を痛めて、あたしはドックの建物を眺めた。
あの建物の地下で、ヒューヴは眠っている。
そしてあたしはこれから、もう一度、ヒューヴをあんな目に遭わせたムル喰いのそばに行くのだ。
武者震いだろうか。ぶる、と体が震えた。
インカムをつけて、あたしは管制と通信を開いた。
「初夢さん、聞こえる?」
「…感度良好、しげるの時よりクリアに聞こえるわ」
「それはそれは」
「多分、日頃のおこないの差だね」
「はは」
なんだか緊張がほぐれる。
初夢さんの声はなんだか素敵だと思った。
「軍人さんは元気?」
「うん、たぶん」
耳元で風がばたばた鳴った。
ざっ、と風だかノイズだかわからない音が入る。
「気をつけてよ、あの軍人さん、割と思いつめてるみたいだから」
「…うん」
「男って、面倒くさいわね」
なんだかさばさばした調子で初夢さんは呟き、行ってらっしゃい、と続けた。
「行ってきます」
あたしは気を取り直して口を結んだ。

このフラミンゴと飛ぶのは初めてだったが、割合素直な子のようだった。
すぐに指示をするコツは飲み込めた。言うことも素直に聞いてくれる。
合図をすると、わさ、と羽根を広げ、彼女は飛ぶ準備にかかった。
視界の端にB・Bの新型器が映った。
ちらりと連想するようにあたしはムル喰いの事を考え、ムル喰いの姿を見たり、その存在を感じたりしてもコルビーナは素直なままでいてくれるだろうか、と思った。
正直、自信がなかった。
落ち着いたままでいられるかどうかというのは、そのままあたしにも当てはまる質問だったのだ。
どちらにせよ、その場になってみなければ判らない、と思った。
「コルビーナ、あがって」
あたしはぼんやりとした不安を抱えながら、フラミンゴに上昇の指示を出した。
フラミンゴはあたしと森山を乗せて、空へ舞い上がる。


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