初夢さんを借りていきますよ、とトオマワリに報告するつもりで管制に寄った。
一人で行こうと思ったのに、何故だか平気な顔をして初夢さんもついてくる。
顔あわせて大丈夫なの、と気を遣うとまた叱られてしまいそうだったので、聞かないことにした。
色々考えないことにして階段を上る。

「お、来たか」
ドアを開けると、こっちが来訪を知らせる前に、トオマワリがコンソールから顔を上げた。
「姐さんも一緒か。そうか」
「一緒」
何気ない声。初夢さんを見ても、さっきまでと変わりのない態度。
初夢さんのほうも大して気にとめた様子ではない。
さっきバギーで聞いた初夢さんの話が本当だとすると、不可解な態度だった。
思わずあたしは考え込んでしまう。
何をどうはしょったら、あんな台詞がぽかんと出てきて、なおかつその後の人間関係にひびが入らないでいられるのだろう。
それが、大人のなんとやら、なのだろうか。さっぱり判らなかった。

「…あのさ」
とにかくも映画のことを切り出そうとした矢先、トオマワリはあたしを見る。
「丁度いい、まあちょっと聞いてくれ、しなり」
あたしが言うのを塞いで彼は、こっちに向けて椅子を回転させた。
「…なんだよ、なんだ、そんな顔するな、まあとにかく聞けよ。大事な話なんだ」
うん、と自分で言って自分で頷く、妙な間をあける。
「しなり、お前が昨日見たってムル喰いは、白かったんだよな」
「…」
「全体的に白かったのか?それとも腕だけだの、頭だけだの、部分が白かっただけか?」
何を聞いてくるのだろう、とあたしは首をひねった。
不意の質問の上、何を聞きたいのかの意図が判らない。
「…そんなこと聞いてどうするの?」
「まあ、とにかく、教えてくれ。とりあえずは」
「うん、まあ」
急かすような表情をされて、思い出そうとしてみたが、はっきりとは思い出せなかった。
木立にまぎれる白い姿が、ぼんやりと浮かぶけれど、正確な像を結ばないのだ。
それより鮮烈だったのが、ヒューヴの真っ赤に染まった羽根だった。
ムル喰いを思い浮かべようとすると、血の色ばかりが浮かぶ。
血に染まった羽根と、深くて濃い緑の森。息苦しいその情景。
気持ちが悪くなって、あたしは首を振った。
「多分、全部白かったと思うんだけど。ごめん。そこまでうまく思い出せない」
「そうか」
「…それがどうかしたの?」
続けて尋ねるとトオマワリは少し難しい顔をして外を顎で促した。

窓に寄って眺めると、そこにはさっきの見慣れない器体がよく見えた。
発着路の中央を塞ぐように泊まっている。
「そこから見えるだろ。ここに来る時にも見たか。まあ、とにかくあの、中央の新型器だ。ついさっき、あれに乗ったB・Bが緊急寄航してきたんだよ」
B・Bとは、青ハイタカと同じような仕事をしている民間団体だ。
森林警備のようなことをしているが、基本的にボランティアである。
ボランティアの癖に新型器をよく見かけるのは、メンバーにお金持ちが多いかららしい。
その例に漏れず、高価なせいであまり主流ではない、腹側に設置するユニットをつけていることが、上から見るとはっきりと分かった。
たすき掛けになった赤のストラップが銀色の器体に映える。
「…珍しい器体ね。ハングユニットなんだ」
トオマワリは頷き、あたしの目線を追うように発着路に顔を向けた。
「金持ちらしい器体だよな」
トオマワリが鼻を鳴らすと、初夢さんが横で、金持ちとムル喰いにどういう関係があるの、と涼しい声を出した。
振り返るトオマワリを気にもせず、初夢さんは、すす、とソファーへ戻ってクッキーを食べ始める。
しばらく何かいいたげにその姿を横目で追ってトオマワリは、気を取り直すみたいにあたしに向き直った。
「どうやら、そのB・Bが言うところによると、白いムル喰いがでたらしいんだ」
困惑した顔で、あたしは思わず固まってしまう。
「冗談でしょう?」
「冗談だったら面白いんだけどな」

「まあ、とにかく聞け」
トオマワリは何度目かになるその台詞を口にして、椅子に座りなおした。
「そのB・Bが言うには、この近くの森林地帯を飛んでたら、救難信号拾っちまったんだそうだ。どうも話を聞く限り、昨日お前が受信したのと同じタイプのものらしい」
あたしはなるべく何も考えないようにして、先を促す。
「…それで?」
「それで、とにかく、発信元を探さなきゃならないってんで低空飛行してたら、不意に森の中からでかくて白い化けもんが飛びついてきたんだそうだ」
「…無事なの?」
「無事は無事だ。飛んでる飛行器を捕まえて食っちまうほど、ムル喰いも万能じゃない。…いや、そもそもムル喰いだって決まったわけでもないんだが」
トオマワリは頭を振る。
「パイロットが要領を得ない。飛びつかれたことに仰天して、相手をよく見なかったらしいんだな。<白い化け物が来たんだ>って繰り返すばっかりだ。ムル喰いかどうかははっきりしない。事情聞くから降りて来いって言っても、あの化け物が来たらいつでも飛び立てるようにしておかないとならないからって、器体から降りてきやしないんだ。…相当おっかなかったんだろうな」
でもかすり傷一つついてねえんだからそんな騒がれてもなあ、と小さく悪態をついて、トオマワリがコンソール脇に広げてある地図をこつこつと叩いた。
「仕方ないから、勝手にこっちで考えてみるに、だ」
「…」
「B・Bがその白い化けもんに襲われかけたのが、ここ、昨日お前が軍人拾ったのが、このあたりだ」
言いながら、地図の点をゆびさす。
その二点は決して近いというわけではなかったが、隣同士のエリアだった。
そして、その二つの点と、この街を結ぶと、一直線の線になる。
「俺は、昨日のムル喰いだと思って間違いないと思う。白い生き物なんて滅多にいるもんじゃない。しなり、どう思う?」
聞かれてあたしは、率直な感想を述べる。
「…たぶん」
「やっぱりそう思うか」
トオマワリは確認するように頷いた。

「じゃあ、仕方ない。この発着場だけでも警戒令、回しておくか」
ちょっと静かにしてろよ、とトオマワリはあたしたちを手で制止して、放送用の機材へ向かった。
じきに外のスピーカーからサイレンが流れ出す。音の感じからして、この発着場全域に放送しているようだった。
大雨の時や鳥獣来襲の時と同じサイレンだった。
うううおお、と悲しげな怪獣の遠吠えに似ている、緊急放送用のサイレン。
サイレンを三度ほど鳴らしてから、トオマワリはマイクのスイッチを入れた。
マイクを口に近付け、アナウンスを始める。
「…えー、本日はモッコク発着場を、ご利用くださいまして誠にありがとうございます。ただいま、未確認ですが、当発着場に寄航のパイロットより、近隣の森林域においてムル喰いが目撃されたとの、…情報が入りました。…屋外で活動中の関係者、パイロット、並びに、ええと、見学者等の方は、なるべく屋内退避へご協力、くださいますようお願い致します。臨時警戒令でした。続報が入り次第お伝えします」
そして、再び、放送終了のサイレン。
サイレンを停めて彼はあたしたちの方へ向き直った。
初夢さんがクッキーをつまみながら辛口の批評を浴びせる。
「しげる、あんまり放送うまくないわね」
「ほっとけ。自覚してるんだ」
「まあ、ほっとくけど」
肩をすくめて、またクッキーを齧る。
「せめて原稿書いてから喋ればいいのに」
「…そうか。それ、いい考えかもしれないな」
トオマワリはがっかりしたようにあたしたちを交互に眺めた。
そして思い出したように言う。
「それより、なんか用か?…何か言いかけてただろ」

言われるまで、うっかり、映画に行こうとしていたことを忘れかけていた。
白いムル喰いの話のインパクトにかき消されていたようだった。
「…初夢さんと、映画に行こうと思ってたのよ」
でも、とあたしは言葉を濁す。
近隣の森林域、という言葉が耳に残っていた。
「でも、なんだか、それどころじゃない?」
率直なところを尋ねると、トオマワリは少し難しい顔をした。
「難しい質問だな」
「…?」
「幸いムル喰いが出たのは森の中だったんで、今のところB・Bのパイロットが内緒で小便漏らした以外に被害は出てないんだが、場所がまずい。さっきも言ったとおり、このあたり、無形障壁ギリギリのラインだ」
ひょっとすると障壁を乗り越えてしまうかも判らんし、もしかしたらもう越えてしまった後かも知れん、と地図を見ながらトオマワリは首を振った。
無形障壁というのは音やにおい、光や電流による、町をぐるりと取り囲む壁のようなものだ。
野生動物がなるべく町に近付く気にならないように、張り巡らされている。
撃退、ではなく、なんとなく近寄りたくないという気分になってもらえればいい、というレベルの、どちらかといえば消極的な障壁である。
とりあえず今のところこの星では、人間の住んでいる領域より、自然の領域の方が圧倒的に多い。
無理に町へ近付かなくたって、棲み分けをする余裕はたっぷり残されている。
その意味では、無形障壁は充分役に立っていると言えた。
しかし、逆に言えば、何かの拍子でそれを乗り越えられると、面倒なことになるともいえる。
一度乗り越えてしまうと、無形障壁を避けて動物は、どんどん町へ近付くことになるのだ。
「無形障壁乗り越えられたら、事だぞ。町の方にも警戒令出さなきゃならない。映画どころじゃなくなるだろう」
深刻な声になって、彼は呟いた。

思い出したようにトオマワリは顔を上げた。
「また、ちょっと待ってろ。今度は少し長いかもわからん」
「何するの?」
「どうするもこうするもない、軍に連絡するしかないだろう。ああ、ええとあれだ。ついでにテクンの回収も催促しておくか」
ふうん、と鼻を鳴らすようにして初夢さんが頷く。
なんだか、急に空気が慌しくなってきた。
本当に映画どころではなくなってきたのかもしれない。

あたしは再び窓の外を眺める。
B・Bの器体が一器、ぽつん、と発着路の中央に泊まっている姿は、ひどく場違いのように見えた。


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