鉄ペリカンとコウノトリ
帽子を脱ぎ、汗をぬぐって、彼は腕時計を覗く。 地蔵堂のようなバス停の前で、かがみこむようにして彼は時刻表を確かめた。 ベンチに座ろうかとも思ったけれど、すでに地蔵堂の中にはセーラー服の少女が一人で座っていたし、時刻表の時間まであと五分もないのでそのまま立っていることにした。 軽い夕焼けが辺りを美しく染めている。 広い広い滑走路を挟んで一段低くなった向こう側には、オバケツリガネが一面、地平線までをわきわきと埋め尽くしている。 ぬるい風が吹くたびに、背の高い白い花の頭がゆらゆらと揺れた。 さっき確かめたばかりなのに、彼は再び時計を見る。 時刻がさっきと変わらないことを確認するように彼は空を仰いだ。 あと3分で鉄ペリカンがやってくるはずだった。 そろそろ遠くにその鉄色の姿が見えてもいいはずなのに。 彼は心の中で運行時間の遅れに悪態をついて、トランクを引き寄せた。 赤い空には横にたなびく雲しか見えない。 オバケツリガネで埋め尽くされた先の地平線に二つ目の太陽がゆっくりと近付いている。 ほんの少しイライラして彼はネクタイを緩めた。 三度目に時計を覗くと背後から声をかけられた。 「待ってたってこないよおー」 地蔵堂の中から、セーラー服の少女が肩をすくめて彼を見ていた。 彼が振り向くと、少女は軽く体を揺らしてにこにこと笑うのだった。 「先週、鉄ペリカン撃ち落とされちゃったのよねえ」 健康的に日焼けした笑顔はとても人懐っこかったが、彼は苦い顔になった。 少女が舌を出すような感じで、またテロ、と付け加えたからだ。 「また有神論者か」 「あっちのほうに落ちたんだよ。鉄ペリカン。…派手だったぁ」 少女は言いながらオバケツリガネの草原の一角を指差した。 言われてみると遠くの方にムル蝶の群れらしい塊が見える気もした。 「…全く。あれはただの乗り物だというのに」 吐き捨てるように彼は言う。 辺境の星ではまだまだ有神論が盛んだ。 鉄ペリカンのような、生態系から切り離された<神の御業>によらない存在を、罪だと見なしている。 少女は相変わらず座ったまま夕陽に染まる彼の顔をみてにこにこしていた。 「まさか君まで有神原理主義者じゃないだろうな」 「アハハ」 「笑っている場合じゃないだろう」 思わず口に出す彼を、まままま、と少女が明るくなだめた。 「おにいさん、地元の人じゃないでしょうー」 語尾をのんびりと伸ばして、少女は立ち上がった。 すっとバス停のお堂から出て少女は彼の隣を抜けて、道路のそばまで歩く。 んーっ、と目をつぶって少女は伸びをした。 「大体もう木曜じゃないか。一羽が航行不能になったってスペアのがいるだろう」 彼女の方を振り向かずに彼は言う。 「残念ー」 少女がへらへらと笑った。 その笑いの意味を解釈して彼はまた時計を見る。 それを横から覗き込んで、少女は問い掛けた。 「おにいさん、どこに行くつもりなの?」 「首都ハーヴェイ」 「わ。ずいぶん高いところまで行くんだ」 「仕事だからな」 彼は短く答えながらしゃがみこんでトランクを開ける。 書類をひと掴み抜きだして、彼はまた時間を確かめた。少女がくくっと小さく笑う。 「そんな、時間ばっか気にしてるとハゲちゃうよ?」 少女を無視して彼はため息をついた。 今晩までに首都ハーヴェイまで辿り着くのは不可能そうだった。 地モグラを乗り継いでいくにしても、軌道エレベータ駅まで行くだけで二日はかかりそうだった。もしかしたら、鉄ペリカンの運行が再開されるまで逗留したほうが利口なのかもしれない。 地図を見ながら彼は少女の方を向いた。 「近くに町があるのか?」 話し掛けて初めて、少女がこの停留所にいる理由に思い当たった。 撃ち落されたことを知っているのだから、鉄ペリカンを待っているわけではない。 だとすると、自分のような観光客をつかまえる算段か。 彼は少しだけ少女のしたたかさに親しみを覚えた。 「…君の家が、旅館か何かをやってたりするとありがたいな」 「残念ー」 彼の反応が思い通りだった、とでも言いたげな、得意げな笑顔で少女が首を振る。 まるで背中からプレゼントを出す瞬間のような表情で少女は言った。 「旅館じゃないけどね。アタシ個人タクシーやってるのよ」 彼は口をあけた。 「タクシーだって?」 「そそそそ」 「君みたいな子供が…認可を得ているのか?」 「野暮なこと言わないの」 彼は少女の服装をまじまじと見る。 どう見ても学校帰りの女学生にしか見えない。 「…何に乗っているんだ」 彼が注意深く尋ねた。 無認可タクシー自体はそれほど重大な違法行為ではないけれど、こんな少女が運転手だなんていうケースは初めて聞いた。 少女はアハハと快活に笑い、自慢げに胸を張った。 「自慢のコウノトリよ」 「コウノトリ?」 鸚鵡返しの彼を置いて少女はバス停の裏に回った。 「鉄ペリカンみたいなお化けとは違ってたくさんの人数運べないけど、かわいいのよ」 大きな声で言いながら、バス停の裏から少女は古い型のホバーバイクを引きずってきた。 「料金は、鉄ペリカンの運賃の3倍」 悪びれずに言う彼女の表情は、とても明るい。 「乗る?」 少女が髪をかきあげて挑戦的に首を傾げ、そして彼は少し笑った。 無認可の飛行器に乗ったことはなかったが、この機会に乗ってみるというのも悪くないのかもしれない。 鉄ペリカンの三倍というと、なかなかの高額だったが、払えない額ではない。 「朝までにハーヴェイに着けるんだろうな?」 「あったりまえですよ。自然の力を甘く見ちゃいけないよ」 20m道路までホバーバイクを引いて、少女は彼のほうを見た。 少女の向こう側で、太陽が沈みつつある。 「…で、乗るの?」 彼がうなずくと少女はホバーバイクのストッパーを外した。 「ここに呼ぶとまずいからさ。ちょっと先まで来て欲しいんだけど」 「…ぼくを誘拐しようとしても無駄だ、って、先に言っておくからな」 「しないしない、しないよう」 無防備に笑い、少女がぽんぽんとシートをたたいた。 彼はトランクを後部座席の荷台に縛り付けて、帽子を脱ぐ。 「僕はどこに座るんだ」 スカートの裾をぱしりと払って少女はバイクにまたがる。 「荷物の上。あたしにつかまっててよ、もう、すぐだから」 横座りにトランクの上に座ると、少しだけ少女の汗のにおいがした。 横座りがおかしい、と彼女はまた笑い、エンジンをかけた。 腰に手を回したが、やはり遠慮してしまう。 「腰に手すりがついていればいいのに」 小さく呟いて、彼は手をぐいっと引っ張られた。少女が彼の手を自分の腰に巻きつける。 「走ってるときに落ちたら死んじゃうんだからね。洒落じゃなくて」 「…」 少女はホバーバイクの風防を引き上げて固定した。 「愛と自然よ、ってね」 前を小さく指差し、彼女は呟いてアクセルを解放する。 道路は、これ以上ないくらいの夕焼け色に染まっていた。 彼は少女の腰につかまりながら帽子を押さえている。 風に負けないように、大きな声で彼は言った。 「ヘルメット着用って、学校で習ってないのか!?」 風がばたばたとうるさくて、大声を出さないと声が届かない。 「それどころじゃないよ、この辺はーっ」 振り向かずに少女は叫んで返した。 どんどん暗くなってゆく辺りを、走り抜けてゆく。 しばらく走ってからホバーバイクは減速して道の脇に寄った。 あたりはひどく高い杉の木が鬱蒼と立ち並んでいる。 地平線まで続くオバケツリガネは、もう見えない。 かわりに、まるで自分が小人になったように錯覚するくらいに巨大な杉林が、道の両端にそびえたっている。 日も落ちて、辺りはすっかり暗い。 見上げなければ目が届かない空は、冬のように青かった。 この星の風景は、いつも一色だ。一つのものが一面ずっと、続いている。 彼は、少女の腰から手を離し、空を見上げた。 「おにいさん、仕事は何してる人?」 バイクから降りる少女に聞かれて、彼は答えをはぐらかす。 「ああ」 「…ま、いいけどねー」 興味のない風に言って少女は彼に背中を向けた。 そして鞄から端末を取り出して、電話をかけるように手早く何かのコードを入力した。 「無線なんて使って大丈夫なのか。電波検索に引っかかったら面倒だぞ」 「平気平気。あ、もう荷物降ろしていいよ。今、呼んだから」 納得しないような表情で彼はトランクをアスファルトにおろして、帽子を被りなおした。 少女はバイクを杉林の方へ、見えなくなる辺りまで押していってから戻ってきた。 「そんな心配しなくてもいいんだって。ホント」 彼女は背の低い草を踏み分けながら、またもや時計を覗いている彼に声をかける。 しばらく、二人は路肩で並んで立っていた。 「まさか、自分がモグリの航行業者の世話になるとは思わなかったよ」 世間話のように彼は呟いた。 少女の顔が、少し愉しそうになる。 「おにいさん随分真面目なんだねえ…」 言い返そうとしたところ、不意にかん高い悲鳴のような声がして彼は、顔を上にあげた。 白い影が、ばさばさと舞い降りてくるのが見えた。 距離感がつかめなかった。 鋭角に、ばさばさと風を起こしながら、大きな影が着地してくる。 「うわ…」 軽い砂煙を巻き上げて道路に着地して、それは羽根を折りたたんだ。 おかしそうに笑って、少女は道路に降り立ったそれの足に手を回した。 それは巨大なコウノトリだった。 「そんなびっくりしないの」 少女がコウノトリと並ぶと、背丈だけで三倍くらいの違いがあった。 巨大なコウノトリが首を曲げて、ぐるりと彼らのほうを向く。鳥はぐっぐっと声をあげた。 その首から、観覧車の箱くらいの大きさの白い袋が下がっているのが見える。 「あの袋に乗るのか」 彼は少しかすれた声で聞いた。 彼の想像した「コウノトリ」の姿とそれは、あまりに違いすぎた。 彼は、無認可鉄ペリカン系統の飛行器を想像していたのだ。 鉄ペリカンはあくまでも飛行器である。生体ベースとはいえ、その構造と外見は生き物というよりも機械の性格が強い。 しかし、彼の目の前で首をかしげたこの生物に、改造の痕跡は見当たらなかった。 乗車ユニットも、鉄ペリカンと違ってあきらかに外付けだ。 まるでおとぎ話のようだった。 「…」 彼は、その首から下がっている袋を乗車ユニットと呼べるのかどうかと考えながら、もう一度コウノトリの体を見渡した。 やはり、改造の痕跡がない。 動物をそのまま飛行器として利用するなんて、どの星でも聞いたことがなかった。 「これは、飛行器と呼べるのか…」 ぐるる、と気持ちよさそうにコウノトリが喉を鳴らし、思わず彼はあとずさる。 少女がまたおかしそうに笑った。 少女になついているのか、コウノトリは彼女が合図すると首をさげて乗車ユニットを地面におろした。 少女の手を借りながらユニットにトランクを積み込み、自分が乗り込む時になって、やっぱり彼は少し不安になったようだった。 「本当に大丈夫なんだろうな」 少女はきょとんとした顔で彼の顔を見た。 「大丈夫だってば。この繊維、すごく丈夫だし、取り替えたばっかだし」 「そうじゃない」 彼はちらっとコウノトリの顔を見た。鳥類らしい、読めない表情をしている。 「この飛行器は危険じゃないのか」 「有神論者に撃ち落される心配もないし、逆に安全だよー」 彼の不安を気にもせず、少女は自分の鞄を積み込んでいる。 おもい?ごめんねー、などとコウノトリに話し掛けながら着々と乗り込む準備をすすめている。 「ほら、明日までにハーヴェイまで着かなきゃいけないんでしょ?」 まるで寝付かない子供を寝かせるような口ぶりで少女は彼を袋に押しこみ、続いて自分も乗り込んだ。 「ヒューヴァーパイヴァー、愛と自然よ。首都ハーヴェイまで。急いでね」 少女が乗車ユニットから首を出して、コウノトリに指示を出した。 コウノトリは大きく体を震わせてから、とっとっ、と二、三歩はねるように歩いた。 ユニットは思いのほか快適で、それほど衝撃も伝わってこない。 「さ、がんばって」 少女は手を伸ばしてコウノトリの首に触れる。 力のこめられる感じがして次の瞬間、ばさばさばさ、と翼のはためく音がユニットを包んだ。ぐぐっと、軽い重力加速がかかる。 彼は少女の隣で首を出して離陸のタイミングを図りそこなって風に当てられ、目をつぶった。 「伝説ではねえ、コウノトリはこんな風にして赤ん坊を運ぶんだってさー」 少女は楽しそうに大きな声をあげた。 ぐんぐんと杉の森が眼下に遠くなってゆく。暗く幻想的な風景が、遠ざかってゆく。 彼は返事を出来ないまま顔をこわばらせていた。 「もう少ししたら気圧のせいで顔出せなくなっちゃうから、今のうちに外、見といたほうがいいよー」 はたはたする風の中で少女が彼の方を見て口をあけた。 「こんな経験めったに出来ないんだからさー」 彼は口をつぐんだまま、ほんの少し恐怖の表情を浮かべて目だけで辺りを見る。 「君!」 「はいー?」 「ヒューヴァーパイヴァー…っていうのは…どういう意味なんだ?」 アハハ、とまた少女は明るく笑った。 「この子の名前―」 地面にのびる20m道路が細い紐のようになる頃、少女が手振りで彼にユニットの中に入るように勧めた。 首を引っ込めると、中で少女がにじり寄ってきて、彼が首を出していた穴がきちんと密閉されているかを確認した。 狭いゴンドラ内で、彼は息を殺して少女の作業を見つめる。少女が自分の座席に戻ると、彼は大きく息をついた。 発光剤のカンテラがちりちりと音を立てた。 「この鳥…野生動物なのか?」 「さあ?」 少女ははぐらかして肩をすくめた。軽く足を組んで、天井を見上げる。 「おにいさん質問してばっかりだね」 「そうだな」 「しかし、この鳥はどう見ても自然の産物ではないだろう」 「きっとね。…でもそんなに不思議?」 少女の短い返事に、彼は少し黙る。 彼は足を組んで頬杖をつき、中指で自分の頬を叩きながら呟くように話しはじめた。 「ぼくは、無神論者だ」 少女の目がきらっと光る。組んでいた足を解いて彼女はスカートの裾を直した。 「うんうん」 「しかし一応、有神論者について、少しの知識は持っているつもりだ」 彼は力を溜めるように言葉を切って、向かいがわに座る少女を見た。 少女は相変わらず愉しそうな表情のまま、彼を見返していた。 彼は告発する寸前の告発者のような表情をしている。 少女の方は、愉しそうな表情のままだ ほんの少しだけ彼の緊張が交差して、そしてほどけた。 少女には身構える態度がない。 彼は毒を抜かれたように息を吐いて笑った。 「<愛と自然よ>…っていうのは、有神原理主義者の合言葉だろう」 「アハハ」 「君は有神論者だな」 屈託なく笑って少女は椅子の上に足を引き上げた。 「ばれたか」 「随分リベラルなんだな」 「アハ、特別リベラルってわけでもないんだけどね」 彼はつられて笑い、それから真面目な顔に戻して少女を見た。 「実は、有神論者と話すのは初めてなんだ」 少しだけゴンドラの天井が風にはためいた。 「このコウノトリだって、まるっきり<神の御業>というわけじゃあないだろう」 コウノトリの首から下がるこのゴンドラは、嵐の晩の山小屋のように静かで、そのくせ、海を漂ういかだのようにぎしぎしと音を立てていた。 「んー。まあねえ。色々言う人は、確かにいるよね」 「有神論者の連中はどうしてそんなに<神の御業>にこだわるんだろうな」 少女はくくっと笑った。 「無神論者の方が、神様について考えてるなんて不思議ね」 「?」 「アタシの話、信用しないって言ったら話したげる」 彼はいまひとつ飲み込めないままうなずいた。 ふざけて秘密を告白するように少女は、声のトーンを落とした。 「実はねえ、鉄ペリカン撃ち落したのってアタシたちなのよ」 「…な」 少女は片目をつぶって、しーっ、と人差し指を唇に当てた。 「いっとくけどアタシ、原理主義者じゃないからね」 「しかし」 「神の御業、なんて言ってるのは、アタシたちのひいおじいちゃんの世代よ」 「…」 「アタシが生まれるずっと前から鉄ペリカンは空を飛んでいたもの」 少女はまた姿勢を変えて彼のほうを見た。 「アタシたちにとって、鉄ペリカンが飛んでる状態が、神の御業、なのよ」 しばらく黙って、彼は言った。 「じゃあ、どうして鉄ペリカンを撃ち落とすんだ」 少女は初めてすこし詰まったような顔になり、困ったように笑った。 「鉄ペリカンがいると、生活できないよ」 「…」 彼は、少女が個人タクシーを営んでいるという事実を思い出した。 ようやく彼は、自分の無神経さに悔いるような気持ちになった。 彼の表情を見て、少女は手を振った。 「やだな。同情しないでよ」 「…」 「まあ、今の生活が嫌なら町のほうに出るとか、すればいいんだからさ」 言って少女は、でもあの辺りの景色結構好きだし友達もいるしね、と独り言のように付け足した。 「ま、アタシたちも鉄ペリカン撃ち落すとか、結構無茶やるし、おあいこっていったらおあいこなんだけど」 空元気のように言って少女は明るくアハハと笑う。 「…まあ、有神論だとか無神論だとか、思想なんて二の次よ。その前にアタシたちはしっかり生きなくちゃ」 少女は暗くなりかけた空気を振り払うように明るく宣言して、鞄からごそごそとスナック菓子を取り出した。 「食べるでしょ」 屈託のない笑顔。 彼はうなずき、折りたたみのテーブルを広げるのを手伝った。 * 十時間も飛ばないうちにコウノトリは軌道エレベータ駅のそばまで到着した。 軌道エレベータ駅までつけば、首都ハーヴェイまではもう、すぐだ。 快適な飛行だった。 料金を支払って、釣りはいらないと言う彼に少女は、じゃあ口止め料だ、といって一円単位まできちんとつり銭をよこした。 「インチキ稼業だけどアタシ、この仕事にプライド持ってますからね」 少女の顔は、とても満足げだった。 彼が最後に自分の名刺を渡すと、少女は目を丸くした。 「思ってたより偉い人だったんだね。若いから甘く見ちゃった」 彼は笑って、君には負ける、と言った。お世辞ではなかった。 「何かあったら連絡してくれて結構だ」 言って彼はほんの少し恥ずかしそうに肩をすくめた。 それは余計なお世話かもしれない。そんなことを思った。 少女は彼なんかより、よっぽど現実的で、しかもしたたかに生きている。 「…ありがと。学校卒業したらお世話になるかも」 全く屈託のない調子で言って、少女は妙な顔になった。 「…今のも内緒ね?」 少しの間があり、二人は顔を見合わせて少し笑った。 中央ポートに彼とトランクを下ろし、少女はゴンドラから上半身を出して手を振った。 セーラー服の襟が、風になびいた。 「愛と自然よ!」 コウノトリが楽に離陸できるだけの距離を取って彼は、中央ポートのプラットフォームから手を振って叫んだ。 少女は一瞬驚いたような顔になり、それから嬉しそうな顔になった。 「愛と自然よ!」 少女は叫び返してコウノトリの名を呼び、手を伸ばして首をなでた。 コウノトリが体を翻し、プラットフォームから暗い空へ飛び立ってゆく。 彼はもう一度手を振って、そして背中を向け、軌道エレベータ駅の中に歩いていった。 |
おしまい(あるいは続く)