大鴉
わたしはドリーに手を引かれ、歩きにくい砂漠を走った。
思ったよりも暗闇を見通すことができるのは、昔からこうだっただろうか。
それとも、新しいからだがそういう風に作られているのだろうか。
ドリーの体温が手首から伝わってくる。
つまづいて転ぶとドリーの腕が離れた。
ついた腕が岩にぶつかって、鈍い痛みが走った。
この、鉄の腕にも痛みがある。息も切れる。
わたしはまだ、生きているのだ。
不意にそんなことを思った。
「馬鹿、間抜け、立て」
ドリーが悪態をつきながらわたしを抱き起こした。
「…ごめんなさい」
「いいか、連中に追いつかれたらお前も戦うんだ」
ドリーは周囲に注意を払いながら、荒く息をつく。
「でも」
「死にたくなかったら、剣を取れ、仇なす光とその剣があれば、生き延びるくらいはできる」
生き延びる。
その言葉を聞いた途端、わたしが死んだ時の、燃える幌馬車や、苦痛や、悲鳴が、頭に蘇る。
ドリーはわたしを掴みあげて肩を揺さぶった。
「判ったら返事をしろ、クララ、聞こえたのか」
「…戦うくらいだったら、わたしは」
いきなりドリーがわたしの肩を掴んだまま、頬を張った。
びたん、と驚くような音がして、わたしは体をすくませた。反射的に頬に手が行く。
「わたしはどうした、なんだ、言ってみろ、この馬鹿女」
「…」
「お前には力がある。戦える力があるくせに戦わないのはただの卑怯者だ。無駄に生きて、無駄に死ぬのか」
「でも」
「考えろ、考えるのは悪いことじゃない、だが、迷うな。迷う暇があったら考えろ」
ドリーの声は、冷たくはない。冷たくはないけれど、硬い。硬い声だ。
わたしは奇妙な熱情を込めたヴィスコヴィッツの声を思い出した。
二人の声は、不思議なくらいに似ている。
「判ったのか、クララ!」
わたしは打たれた頬に手を当てたまま、そして彼の背後に朝日が昇ってくるのを見た。
曙光がわたしの頬を染める。
「…畜生、最悪のタイミングだ」
ドリーは舌打ちをして朝日を向き、もう一度わたしの腕を掴んだ。
「とにかく、今は逃げ…」
わたしの方へ振り向いたドリーが、何かに跳ね飛ばされた。
「!」
「…見つ・けた・ぞ」
少し金属的な、甲高い声がする。それはわたしに向けられたものに違いなかった。
わたしは目を細め、あとずさった。
誰かが立っている。朝日に邪魔されて、顔が見えない。
「誰…誰なの…?」
ばさり、と何かを脱ぎ捨てるような音がして、朝日を遮る何かが、男の背中から広がった。
それは、濡れたような黒い色をした翼だった。
そこには、大きく、黒い翼を広げた仮面の男が立っていた。
胸の筋肉を誇示するように両手を広げ、鴉の仮面の男はその尖った嘴をわたしに向けた。
「見つけたぞ」
それは地獄の底から響くような声だった。
横倒しに倒れたドリーが、杖を支えにして立ち上がろうとしている。
「逃げろ…ッ!」
ドリーの声が響き、わたしは我に返った。
我に返ったわけではないかもしれない。
わたしは訳のわからない声を上げて、女王の剣を抜き、横薙ぎに振り回した。
「う、うわ、あああっ!」
振り回した剣をかわし、鴉はくるりとわたしの頭を飛び越した。
耳元で声がした。
「見付けたぞ…」
「うわああ!」
わたしは絶叫して、滅茶苦茶に剣を振り回した。
鴉はその全てを魔法のようにかわし、剣を飛び越えるようにして、わたしの腕の上に手を置いた。
「この腕は、罪と死を振りまく腕だ」
べきん、といやな音がして腕がおかしな方向に曲がった。
痛みに声が出ない。偽物のわたしの腕が、本物の痛みをわたしに伝える。
「ドリー…!」
わたしの喉から漏れるのは泣き声のような声だった。
死にたくない。
わたしは、助けて、と言おうとしたのだろうか。
鴉がしゃがんでわたしの足を払った。
「この足は、禍によりて命を踏みしめる足だ」
続いて機械の足が、折れる音がした。