少し急いで階段を降りて、職員用の通用口から表に出た。
見ると、前の道をタクシーが町のほうへ走っていくところだった。
窓を開けてそこから腕を垂らした運転手が見えた。
胸を弾ませて職員用ガレージを回り、正面玄関の方へあたしは足を速めた。
ガレージに停めてあるのは、あたしのホバーと誰かの有輪バイク、少し離れて自転車が二台。
ガレージを囲むように巡らされた植え込みの背は高く、向こうの正面玄関は覗くことが出来ない。
一度、表の道まで出て、それからでこぼこした道を回ってあたしは歩く。
木の看板。低い植え込み。
軽い上り坂をあるくと、左手が急に開けて建物が見えてくる。
さびれている現状からすると少し大袈裟なロータリーの向こうに、正面玄関はある。
正面玄関の重たいガラス扉の前で、つばの広い、大きな白い帽子をかぶった少女が、戸惑ったように扉を見上げていた。
紺色の長いワンピース、彼女の前に置かれた、大きなトランク。
風が吹く。
前に会ったときから、少しも変わっていない。
おそらくはその前から、ずっと、ずっと変わっていないその姿。
「初夢さん」
あたしは呼びかけた。
驚いたように振り返り、彼女は帽子のつばを上げた。
色の白い、あたしと同い年くらいの少女が、あたしを見ていた。
「しなり?」
彼女は驚いたようにあたしの名前を呼んだ。
彼女こそが、松野初夢、その人であった。
初夢さんのことを話すときに、戸籍上、だの名義上、だのとややこしい但し書きをつけなければならない理由はこれだ。
彼女の実質的な年齢のことである。
初夢さんの身体は、鉄ペリカンの基幹部を勤めている間、年を取らない。
どういう技術かはよく知らないが、そういう仕組みになっているらしい。
一年に一度、数日あるかないかの休暇の間だけ、初夢さんは年を取る。
そういう仕組みなのだ。
前に別れるとき、次は歳下かもね、と初夢さんが言ったのはそういう意味だった。
初夢さんが何年前から鉄ペリカンの基幹部をしているのか、はっきりした数字は知らなかったが、始めたのが何歳の時なのかは、判っていた。
それは、彼女が十八の時。
今のあたしと、同じ年のときだった。
その時から初夢さんは歳をとっていないのだ。
出会って以来三年。
今年であたしは初夢さんと同い年になった。
駆け寄って、あたしは変わっていない初夢さんの手を取った。
「ご無沙汰」
「…ひさしぶり」
ちょっとだけ戸惑ったように間をあけて、初夢さんは笑顔になって頷く。
寝覚めのような顔をしていた彼女は、気を取り直すように、ぐ、と手を握った。
「しなり、元気だった?」
ちらりとヒューヴのことが頭を掠める。聞いてほしい、とは思ったけれど、咄嗟にはうまく話せそうになかったので、後回しにしてあたしは首を振った。
「…大体元気。そっちは」
「わたしは、まあ、前と変わらないですよ」
言って苦笑いするように首をかしげる。確かに、何かあった訳がない。
初夢さんにとっては、前に別れた日から、幾日も経っていないのだ。
我ながらつまらないことを聞いた、と反省する。
けれど、初夢さんは気にした風もなく、ふふふ、と笑った。
「髪が伸びたね、しなり」
まるで子供のように目を細くして、初夢さんはあたしの髪を触った。
「少し、背も伸びたんじゃない?」
「ううん、背は、もう」
「そうか、でも何回見ても、慣れないわねえ、こういう急な変化って」
嬉しそうな、寂しそうな、不思議な顔で初夢さんは笑った。
そして空を見上げる。
「この間は秋だったのに、もう夏だね」
「暑いでしょう」
「暑いよ。日焼けしそうだ」
脱いだ帽子で軽くあおぎ、初夢さんは暑そうな顔をしてまた笑った。
「とにかく中に入ろう、入ろう」
トランクをごろごろ転がして、ガラス扉を開ける。
相変わらず帽子であおぎながら、初夢さんは待ちあい用の椅子まで歩いた。
がらがらがら、とトランクの車輪が音を響かせる。勿論のようにロビーは無人だった。
「今日は平日よね」
「うん」
「ああ、そうか。しなり、もう卒業したんだ?」
壁の時計を見ながら初夢さんはぼうっと尋ね、慌てて取り消した。
「そんなはずないか、制服着てるもんね」
いかんいかん、と首を振って、初夢さんは椅子にぱたん、と座る。
「目を覚ますたびにこう、季節がガチャガチャ変わると、やっぱり落ち着かないわ」
あくび。
しばらくの間。
「で、どうしたの、学校は。…休み?」
「…サボっちゃいました」
初夢さんは鼻に皺を寄せる。
「不良学生だ」
「すいません」
何故だかお互いの言い方がおかしくて、二人で顔を見合わせて笑った。
「…しげるは?」
そっとあたりを見回し、初夢さんは遠慮がちに尋ねた。
トオマワリを探しているようだった。
あたしが目で階上を指して、仕事、と答えると口を尖らせて彼女は天井を見上げた。
「あいつ、ずいぶん薄情だな」
子供のような口調だった。
ちょっとだけ、初夢さんとトオマワリは似ている、と思った。
無論、思っただけで口に出したりはしない。
初夢さんは、トオマワリの事が好きなのだ。
あたしの視線に気付くと、初夢さんは少し顔を赤らめた。
「すまん」
照れた顔で謝る彼女に、つられてあたしは笑ってしまった。
「何で謝るのよ」
「だってさ」
まるで本当に子供みたいに口がとがる。
いいの、とあたしは手で彼女を制止して、また少し笑った。
しばらく、二人でくつくつと笑った。
人のいない、静かな場所で笑い合うのは、なんだか秘密の話をしているみたいで少し面白かった。
笑い止んで、あたしは初夢さんの隣に座った。
「おかえりなさい」
あたしは言った。