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『春の寒い日に出かけようとする』

 このあいだの日曜日は随分寒かった。
今日も寒いなあ寒いなあと思いながら部屋に篭って火燵に潜り、わたしは先日、人に「寒い日もそれはそれで」と自分が言った時のことを思い出していた。話していた相手というのはわたしの交際相手で、彼は人生が楽しくないとぼやいていたのであった。わたしはそんな彼を何とかしてやらねばなあ、と、思ってもいないことを言って慰めたのであった。

 人生、何気ないことに目を向けたらそれはそれで楽しいよ。
 でも楽しいことばかりじゃないし。
 辛いと思うから辛いんだよ、だって、寒い日もそれはそれでいいものだよ。遠くが綺麗に見えるし。
 そういうものかなあ。
 そういうものよ。

 わたしは火燵から首だけを出して窓の外のびゅうびゅう風が吹いている景色を眺め、思った。でも、寒い日に外に出るのは嫌だよね。嘘ついてごめん。思ってもいないこと言ってごめん。そして目をつぶり、わたしはゆるやかに昼寝に落ちる。平日の休日というのはなかなか豪勢な気分になれるものだ。怠惰な過ごし方だが、わたしはこの、平日の休日を愛していた。
 うとうとしかけた時に電話が鳴った。友達だった。もうしばらく会っていない、高校時代からの友達だった。
「ふぁい?」
 寝かけだったせいか、わたしの声は少しかすれる。電話の向こうで友達が少し気後れしたような声を出した。
「あ、沙織、寝てた?」
「うん、いや、まあ」
「おお、やはり就職すると忙しいでしょお」
 友人、深川咲子は先輩らしくフフフと笑った。わたしと彼女は同い年ではあるが、社会人歴で言えばわたしより四年余り先輩だった。彼女は家庭の事情で、高校を出てすぐ働きに出たのだ。今、彼女は寝具店の事務をしている。

「ねえ、沙織、木曜休みだったよね?」
「うん、休みでありま、す。のんびりしているのでありま、す」
 伸びをしながら寝返りを打って返事をすると、咲子は楽しそうに笑った。
「それはよい、よい。で、あのさ、今から向山のプラネタリウム行かない?」
「なに、急に」
 わたしはどこかへ飛び去った眠気を、少しだけ惜しく思いながら体を起こす。
「いやあ、はっはっは、実は私も午後に休みを貰ったのよね」
「へえ、本当」
「うん。今から会社出るとこなの。で、プラネタリウムの最終上映が午後三時でさあ」
 時計を見上げると、現在時刻は二時少し前。
「沙織、暇ならどう?行かない?都合悪かったら私、一人でも行くけど」
「ん、うーん、んー」
 このままのんびりしていたい、外に出るのは面倒くさい、というような気持ちもあったが、断わる口実が見つからない。別に咲子と会うのが面倒と言うわけではないし、断わりたかったわけでもないが、無駄に逡巡してしまう。この消極的な怠惰さというのは、わたし特有のものだろうか、それとも皆、そういうものをもっているのだろうか。
どうやら別段プラネタリウムに興味がなかったというのが、わたしを迷わせているようだった。しかし、あまり逡巡するのも悪い。咲子とは会いたいのだ。行きたくないのでは、と思われてしまうのも嫌だし、と気ばかりが急く。
早く結論を出さねば。出さねば。
 わたしは、えい、と体を起こして電話機を持ち直した。
「よし、行こう、行きましょう、プラネタリウム」
 気乗りしたわけではないが、勢いよく返事をしてみると体の真中にパズルのピースがはまったような気になった。わたしの中には、約束をするまでにひとつ、乗り越えなくてはならない壁がある。それを越えるまでにかかった気力から自分のバイオリズムを計ってみると、今日のわたしは、普通程度にものぐさで、普通程度に元気のようだった。

 そしてマフラーを二枚巻いてわたしは出かける仕度を整えた。このところ、休日と言えば家でだらだらだらりと暮らす日々だったので、なんだか少し新鮮な気がした。ウィークデイに休日をとる暮らしをしていると、友達とも休みが合わず、もちろん交際相手とも合わず、孤独に陥りやすい。ほう、とため息をついてもう一度時計を眺め、わたしは部屋を出た。やはり風が強くて寒かった。今頃交際相手は元気に仕事をしているだろうか。元気に働いているといい。働け、働け、若人よ。

「でも寒い日はやっぱり家にいたいなあ」

 思わず息だけで呟き、わたしも軟弱になったものだと少し笑った。

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『ジュディ、アイ キャン アンダスタンジュー』

 カナダから留学生がクラスにやってきている。名前はジュディ。私たちと同じ歳なのに、ジュディはなんだか大人びているように見える。多分、顔立ちの彫りが深いせいだと思う。鼻が高いし、背も高い。170くらいあるんじゃないだろうか。髪は少し茶色っぽいけれど金髪で、背中まである。短期の留学なので、制服じゃなくて私服で通っている。なんというか、英語が苦手で目立つのも嫌いな私のような日本人には、ちょっと近寄りがたい感じではある。

 うちの高校には、年に数人、留学生がやってくる。実質一ヶ月くらいしかいないのだけれど、交換留学なのだという。うちの母はその事実を知り、これからは国際化よ!と鼻息を荒くしてこの学校を勧めてきた訳だが、英語のできない娘としては、当時からちょっとなあ、という感じであった。結局、親の勧めどおりのここに進学したのは制服の魅力に負けたのと公立校だったという理由で交換留学目当てではない。私はやっぱり、留学生だとか外国人だとかはあいかわらず苦手なのであった。もちろん自分が交換留学に行くだなんて考えたこともないのであった。

 そういうわけで、ジュディが編入してきてからもう一週間が経つのというのに私はまだ、ほとんど彼女と喋ったことがなかった。とは言ってもそれは別に特別彼女だけを無視しているわけではく、もともと単に私の構築した人間関係が狭いとだけの話なのだが、それにしてもなんとなく気になっていた。知らない国に来て、一人だけ違う服で、なんとなく一人で一ヶ月を過ごすというのはどういう気持ちなんだろう。やっぱり、割合さみしかったりするのかなあ。

 もちろんジュディは誰かと話していることもある。男子はどうしてだか知らないがあまり彼女に話し掛けないので、大概は女の子と喋っている。だが、学校にいる時間の半分くらい、彼女は一人だ。この間ジュディと少し話したという友達に聞くと、ジュディ自身が、あんまり人と積極的に打ち解けやすい性格ではないらしい。打ち解けやすい性格って英語で何ていうの、と聞いてみたが、その友達はジュディの言い回しを再現出来なかった。なんとなくそうじゃないかって判る程度だからね、と誤魔化されてしまった。再現できないくらい難しい言い回しを、なんとなく、で理解できるとは、こりゃ、凄いなあと思った。到底私には真似できそうにない。

 そんな逃げ腰のわたしが、ついにジュディと喋ることになったのは、ある日曜のことだ。
 桜の木の下で、ジュディと出くわしてしまったのである。出くわして、というとまるで彼女を避けていたように聞こえるかもしれないが、そうではなく、突然ばったり出くわしたからなのだ。ぼうっと考え事をしながら歩いていたら、不意に目の前にジュディが現われたのだ。どうも、桜の木を挟んで対角線上になっていたらしい。
「わっ」
 思いも寄らない邂逅に私は思わずそう、声を上げたまま、固まってしまった。制服を着ていなかったので、向こうは一瞬私が誰だか判らなかったらしいが、反応のせいか顔に見覚えがあったのか、なんだかふっと表情を変えた。
「Hi」
 英語に疎い私でも、それが挨拶だということは判る。
「ハ、ハーイ」
 まるっきり高校生とは思えない発音で返事をして、私はジュディの隣に並んだ。挨拶だけで別れるのも何だろうと思って並んでみたのだが、それっきり言葉が続かない。私は多分緊張している顔をしているのだろう。ジュディを怖がっているように見えるのかもしれない。ジュディはしばらく私の顔を見ていたが、軽く首を傾げてから桜の木へ目をうつした。そんな彼女の横顔が、なんだか寂しそうで、何か話し掛けなければ、と焦って、とうとう思わずふっと声が出た。

「ジュディ ドゥーユーハブ ア ブラザー?」

 何か話さなきゃ、と思って私が必死でひねり出した英文が、これだ。我ながら嫌になる。中学の時、オーラルコミュニケーションの授業でやった最初の文じゃないか。私英語って苦手、と思うきっかけになった文じゃないか。しかも、何よ、この前後のつながりのなさは。ああ、ああもう。
 自己嫌悪に陥っている私に対し、ジュディは一瞬呆気にとられたような顔を見せたが、すぐに微笑んだ。彼女は何か英語で返事をした。全部は聞き取れなかったが、NO とかno brotherだとか言っているのは聞き取れたので、なんとなく、兄弟がいないんだな、ということは判った。そうか。これが、「なんとなく判る」ってやつか。ジュディは、私が何か言うのを待っているようだった。考えてみれば、いきなり兄弟の有無を聞いて、それで会話が終了するというのも妙な話ではある。私が何か続けるだろうと思うのも当然だ。私は、少し考えて、私のことを話すことにした。
「アイハブア ワン ブラザー。ヤンガーブラザー」
 うん、とジュディは頷く。うわあ、ホントに伝わるよ。頷かれちゃったよ。密かな感動とともに私は少し調子に乗って、もっと何か話そうと考えた。ああ、そうだ、そういえば弟については面白い話があったっけ。
「2デイズ アゴー、ヒー ワズ、ええと」
 二つ違いの私の弟は、一昨日、女の子と別れたらしい。別れたというか、フラれてしまったようなのである。見るからにげんなりした様子で帰ってきて、御飯もいらないと言って部屋に篭って、しばらく。具合でも悪いのかなあと思っていたら、やっぱり女がらみで何かあったのだということを遠回しに匂わせるような発言などをするし、それまで毎晩彼女からかかってきていた電話もなし、昨日に至っては居間で携帯をにらんだまま、じいっと座っていたりするし、それがあんまりに判りやすい様子なので、姉としては悪いなと思いながらも昨日友達に話して盛り上がってしまった。だって、普段サッカー部員に悩みなんてない、みたいな顔をしている弟が、あんな漫画みたいな失恋リアクションを見せてくれるとなると、やはり、悪いけれど少し面白い。
 そのことを話そうと思ったのだ。

 しかし、こんな複雑なこと、どうやって話せばいいんだろう。言いかけてみたはいいけれど、私は途方にくれた。言葉の壁って高い。
「ヒー、ワズ…」
 私は呟くようにそこだけを繰り返し、一生懸命構文を考えたのだが、どうしてもうまく行かなかった。伝えたいのだけれど、伝えられない。私はとうとう半分諦めて、面白さを伝えようとすることを諦めた。面白さを伝えられないのはさみしいけれど、結果だけ話そう。ジュディ、ごめん、私力不足です。ちょっと浮かれすぎた。うまく言えない敗北感にまみれながら、私はインチキな英語を口にした。
「ツーデイズアゴー、ヒー ワズ …ハートブレイク」
 ジュディは目を丸くする。
「oh…」
 ジュディは、あらかわいそう、という表情を見せて息だけで言った。それを聞いた途端、私の中で何かがぱあっと開いたような感じがした。私はジュディが目を丸くしたのと同じように、驚いて口をあけた。
 彼女の口から出たのは確かに「oh」だけだったのだが、それは、確かに私には、言葉に聞こえたのだ。私の言いたいこととは違ったけれど、事実は伝わって、ジュディはそれを理解して、そして、反応したのだ。それは、素敵な「oh」だった。多分その「oh」は私には真似できない。けれど、それは英語が苦手だからじゃない。

 私は思わず嬉しくなってしまった。言葉の壁って、案外低いかも。英語、苦手だけど、話せるかも。

「ジュディ、桜、見てたの?」
「?」
 少し浮かれて話し掛けると、ジュディは怪訝な顔になった。聞き取れなかったらしい。私は慌てて言い直す。
「あのっ、桜、さくっ、桜」
「?」
 言い直しになってない。まるでどもっているみたいに桜、さくら、と繰り返しながら、英語訳を必死で頭から探しつつ、構文を組み立てる。ええと、桜の木を見てたの、というのは英語で言うと、did you looking 桜?…だから、桜って英語でなんて言ったっけ。
「あ、桜、これ、桜」
 私が何度も木を指さすと、ジュディは二度頷いてから、「cherry tree?」と綺麗な英語で笑った。なるほど、そうか、そういやそうだ。それ、授業で習ったことある。それにしても綺麗な発音だなあ、と思ったが、もしかしたらそれは、彼女の声が綺麗なのかもしれなかった。私はイエス、イエスとこれまたカタカナ英語で頷いて、桜の木をさして、チェリーツリー、サクラ、と繰り返した。
「It is beautiful …um KIREI」
 ジュディはうっとりとした横顔で桜を見上げ、呟いた。私達は顔を見合わせて笑った。私の頬は少し赤くなっているかもしれない。
「きれい」
 私はジュディの呟いた日本語を繰り返し、並んで桜の木を見上げたのであった。

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『世界再生』

世界に新しい神が生まれた。
新しい神は十八年のあいだ、ゆっくりと世界を観察し、そして一度世界を壊すことを決めた。深い絶望が、世界に抱く希望を上回ってしまったのだ。
新しい神は、この世界は作り直す時期に来てしまったと感じたのだ。

新しい神はまず進化しすぎてしまった言葉と、すべての音を破壊した。
無音となった世界で、神は眠りについた動物たちに、紗をかけてまわった。紗に包まれた人や動物や植物たちは、最後の眠りの中、砂となって崩れて消えていった。
次に新しい神は地面を割って、その中へ海の水をすべて流してしまった。そして水と混じって泥のようになった地面を両手でこねて、太陽へ投げてしまった。
神は太陽を飲み込み、月を飲み込み、宇宙の星々を息で吹いて消してしまった。

世界に夜とは言えない闇が訪れた。
無の闇の中、神は、新しい世界をどうやって作り始めるべきか考えていた。

新しい神は、古い神がそうしたように、光から創りなおそうと考えた。
そこで、光あれ、と言おうとしたが、思い直して止めた。世界を作り直すために、まず言葉から作り直そうと神は思った。古い世界の言葉で世界を作り直すのは、同じ過ちを繰り返すことになると神は思った。

そこで神は暗闇の中、左の胸から一人の赤ん坊を産み落とした。
神は早速その赤子に名前をつけようとしたが、思い直して止めた。どうせなら、この赤子が始めにしゃべった言葉を、赤ん坊の名前にしようと神は思った。

神は待った。

闇の中、赤子の頭を撫でながら神は待ちつづけた。
やがて赤子はその手を神の胸に伸ばし、声を発した。
「ま、ま」
神は予定通り、はじめの人間に「ママ」と名づけようとしたが、はじめの人間が神の胸に触れた瞬間、思い直して止めた。

新しい神である彼女は、新しい世界においても、母親のことだけは「ママ」と呼ぶことにしようと決めて、初めての人間の頭をもう一度撫でたのであった。

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