歌人別に短歌作品をまとめました。

 

●池田 行謙(20首)

 

 3 疾風とはいかなるものか、おそらくは見知らぬままに大人になった

 4 東経と北緯に定められながらしあわせになることのしあわせ

 5 雨はいまどの海原にあるだろう指でゆっくり回す火星儀

 7 友の死を伝えるポストカードには向日葵の群れ、羽ばたくような

11 花びらを失っていくさよならに辿り着くしかないものとして

15 まずいつか別れが来るということを受け入れてから愛しはじめる

16 1514号室 もう二度とめぐり逢えないことの多さに

17 青空の色の絵の具の114種類から選ばないといけない

22 水平線に配する色の顔料を決めかねるまま夏の過ぎゆく

24 淋しさに側面があるのならばその左側を歩こうと思う

25 必要のないものばかりさよならの全てを伝えきれないのなら

26 電柱より高い建造物がない街そこここに空の領域

28 直上に波の形を思いつつ海底雪原おやすみあなた

31 芽キャベツのひとつひとつを湯に落としつつさよならを受け入れてゆく

32 きみが流す涙はいつかトビウオの背にあたる雨粒になろうか

33 彩のくにさいたま芸術劇場にぶつかる雨の音だけがする 

35 これからは自由にしていい自由という束縛から自由になれない

36 <私たちは法定速度を守ります> 敗走しているようなトラック

37 数百の名をもつものとして雲のすべては水であるということ

40 打たれたる水の静けさおそらくは雷撃のような量子力学

 

 

●黒木 孝子(15首)

 

 3 聞かぬままとなりたる気持ちのいくつかのように綿毛が飛びかう秋日

 6 知らずとももういいのだと思うまで桜の花は何度咲くだろう

15 アバウトな時針の時計が置いてある君の机でため息をつく

17 閉館の真近い図書館足早に出る待ち合わせあるかのように

18 吾よりも先に起きだすことのない君に本当は安心している

21 何度でも伝えたくありこの先の海辺に君が居ると思えば

26 それは夏に咲く花なのにと教えても明るい色に君は魅かれる

29 赤いバラだけの花束重たくて唯一というものが欲しいよ

30 ケンカしたまま眠る背を向けている君に触れれば湿りたる髪

31 稜線は深くなだらか君といる部屋であるから見えるのだろう

32 それぞれに寄り添う人がいることを友らと分かれ君と手つなぐ

35 海岸へ降りるためには一本の道しかなくて返事は聞かず

37 海風が横へ横へと吹いていく薄れゆくのは君の歌声

38 ここはまた離れゆくべき街君と夕暮れ近い公園を出る

40 急ぐ君と駅で別れたその後の青点滅は渡らずに待つ

 

 

●澤村 斉美(13首)

 

 2 生き物の軽重は陽に埋もれたり首をもたげる鳩の動かず

 3 ものの影動かぬ昼のグランドに僕ら時間の軸として立つ

 4 花の咲くころには父に会いに行く青いコートの包みを提げて

 6 マンションの入口に春は留まりぬ枝に黄色な日々を連ねて

 8 就職の書類はわれを遠ざかるコーヒー一杯飲む間もずっと

 9 里芋をころころと煮る楽しさは語らず柔き菓子を掬えり

10 あの青き卵のように眠りたし駅から駅へ着くまで独り

11 春雷の鳴る間を家にこもりたり叔母の中庭の枝を眺めて

12 わが影を水に眺めし一日の終わりに厚きキルトを伸ばす

14 クリームが春の胃液に溶けるころ本の男を理解し始む

15 油煙墨のような闇ありあかあかと竈の扉半開きなり

16 カーテンで雨を見えなくした部屋に白い下着の明るさはあり

17 早送りで画像の冬は進みたりビルの屋上に避雷針見ゆ

 

 

●高田 薫(12首)

 

 4 交錯する好きと諦める気持ちわが夕暮れが星空を待つ

 6 嘆くべき歓びに触れ夢に見た愛のかたちは曇天の午後

 7 あの頃の夢見てはまだ思い出す壊れた関係孤独が原因

11 緩い坂歩きゆく日の裾さばく花柄の長襦袢風に翻し

12 繰り返す小さな事を積み重ね爛漫な日々は死ぬまで続く

14 うまく言えぬ気持ちの陰に嘘をつき完全なはずの思いを壊す

19 夜の窓はオレンジの光を反射して語りあった時を沈める

21 向こうには見慣れた景色があるようなそれがやさしい二人の時間

26 思い出に色があることを知った島風も鮮やかに吹き抜けていた

29 ぼんやりと余計なことを考えてやがてシルエットがわたしを占める

31 もしかしてわたしは泣いていたのかもありふれた日々にまた灯が点る

34 閉ざされた明るい部分なお隠し開いてみたら蛍雪の夜半

36 もう一度会うならふたりで歩きたいやわらかな風にふかれる通り

 

 

●田中 亜紀子(34首)

 

 1 指先が冷える季節に誘われて緑と花と君を見に行く

 2 争いのはじまりだけは他愛なく 「鳩のうなじのいろは何色?」

 3 子供らは遊びわたしはたそがれて空の宮殿色づくを見る

 4 どこか遠い人の話を聞きながら固い蕾を数える私

 5 自らも知らぬ何かを待っている行き交う人を俯瞰しながら

 6 約束を果たした後の脱力感 桜もぽうとのどかに咲いて

 7 カプチーノいつしか冷えてあの人の心もきっといつか冷え行く

 8 お茶をのむ液体を飲む息を呑む ことばをのんで君を見ていた

 9 今生は知らず来世はなおさらにわからないまま今を見ている

10 三日月をめざして走る鉄道に君も言葉も奪われました

11 私の五感も信じられなくて室内香はサクラの香り

12 ぐちゃぐちゃに放ったままの思い出も今日はアイロンかけてしまおう

13 あこがれも昨夜の夢もためらいも何でも知っているような猫

14 桜時、君のケーキを平らげてわたしの中に満ちてくる月

15 胸元で時々ゆれる柘榴石 あなたの声は暖炉のようだ

16 唐突に名前が呼ばれ目覚めれば花が一番綺麗な時間

17 寒空を勝手気ままに泳ぎつつ雲の予言者何かつぶやく

18 あっさりと君を見送るきぬぎぬのぬくもり欲していたのは私

19 蝋燭の揺れる明かりを受けて飲むワイン今宵はここまでですね

20 さよならを告げて三歩でスイッチを切り替え別の私に戻る

21  私と薔薇が背伸びをするときは遠くの君はきっと微笑む 

23 乾杯の仕草をまねてそっと見る指輪あるいはグラスの水を

26 風邪気味の体を抱いてハイビスカスティーの紅飲み干すあした

27 もう二度と会えないようにくちづける赤いペディキュア 紅い唇 

29 まっさらな薔薇をあげようヴェネツィアの祭りのような仰々しさで 

31 日没と一緒に踊るフラメンコ リズムをきざめ洗濯ばさみ

33 あの人の在・不在など気にしない一人のお茶に一人のランチ

34 恋人と友達の差などわからない君はとなりで微笑むけれど

35 七色の虹であなたを飾る時武装解除のサイレン響く

36 ひとならぬものの楽しさ風戯え(かぜそばえ)君もどこかで楽しむだろう

37 イギリスの風景がふとあらわれてひとりぼっちの明日を照らす

39 永遠に続く線路のまぼろしの中で誰かと語りあいたい

40 輪を描く自分探しの物語はじまりはそうその水たまり

 

 

●土橋 磨由未(10首)

 

 8 珈琲の苦さが胃壁にとどくのはラッシュアワーの地下鉄の中

10 通過せし駅はたちまち過去となり脳裡にひとつ星座はめぐる

11 一期一会 億兆億の花の雲まばたきをひとはくりかえすのみ

19 ろうそくに夜を委ねし卓上に船が錨をおろしはじめる

23 鞦韆がガラスコップに揺れはじめ公園の外を歩く会話は

24 闊歩するきみの歩幅の広さだけ空が蒼いと言えず別れた

27 アンドロメダの丘の麓にサンダルで立つ今日こそは星となり墜つ

32 横顔にマフラーを巻き人ごみにまぎれるきみよ かなしからずや

36 クラクションに消されてしまうたそがれは渋滞であればきっとさびしい

39 やがて線路は銀河につづきワープせり地球を小脇に抱えたままで

 

 

●西之原 一貴(17首)

 

 1 寒椿さむさのなかに咲き残りぬ翳るひざしに色を変へつつ

 2 会ふひとも会ひたきひともなく冬は過ぎてかゆかむ鳩あゆみをり

 3 不意に目の合ひたるときの顔ばかり思へり土ののぞく芝生に

 4 枝々のさしかはしたる空を見るひかりのなかに影生むわれは

 5 薄日さす窓辺に腰を下ろしたる猫はひかりに首をそむけぬ

 7 冷めてゆくコーヒーカップのなかに見ゆふゆの終はりに揺れる枝々

 8 ああ暇な男かわれはコーヒーの湯気に鼻腔を湿らせてをり

10 ひかりもてひかりのなかを通過する電車は春の風を立てつつ

16 翳りつつその時時の影を生む花瓶はばらを容れつつ立ちて

19 触れられぬグラス二つのテーブルに削られてゆく夜を見てをり

20 横顔で話す未来に相槌を打ちそこねたり終バス揺れる

21 浜かぜに揺れてゐる薔薇花びらのあはひにはるの陽をためながら

22 旅立つてゆくとき人はしづかなりからだを窓のそばに置きつつ

24 発つためにしまふことばもあるだらう吸ひをへてなほ煙れる煙草(ジダン)

25 遠ざかる人を見終へて引きかへす街路は影であふれかへつて

29 思ひだすたびあいまいになる表情 薔薇など最初からなかつたさ

31 闇がつつむのをよろこびてベランダに取りのこされる洗濯ばさみ

 

 

●吉村 実紀恵(10首)

 

 7 感情の層を一枚、また一枚はがしてゆっくり冷えてゆく愛

12 鳥かごに<未来>という名の文鳥を飼い慣らしつつ日々を暮らせり

15 恋人がこいびとになる カモミールティーがねむりを誘う速度で

22 ひとしきり泣いた朝にはいつもより陽射しがあかるいことを知ってる

29 薔薇よりも深紅であろうみずからを傷つけて咲く花があるなら

31 放浪の夢に疲れて戻り来し景色がきみの不在を告げる

34 廃屋にあかり灯して呼び寄せる<理想の家族>という名の家族

36 群集にまぎれていれば怖くない ひとりを愛しきれないことも

38 いつの日か遠くの海に捨てにゆこう遺伝としてのこのさびしさを

40 さかさまに映し出された風景を現実として歩く東京

 

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